2019年08月15日に初出の投稿

Last modified: 2019-08-15

脅迫などを受けて企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった、あいちトリエンナーレ。あいトリの企画アドバイザーを務めていた批評家の東浩紀さんは8月14日、Twitterで辞任を表明した。

東浩紀があいちトリエンナーレのアドバイザー辞任へ 「“表現の自由vs検閲とテロ”は偽の問題」

まず、この Buzzfeed という媒体のページ・デザインについて言いたいのだけど、他人の発言全体を引用するなら、罫線を引くとかユーザビリティ上の配慮をするという思考はないのかな。この会社にはデザイナーとか情報アーキテクトとかテスト・エンジニアという職能は存在しないのかね。特定の発言だけをくどくどと太字にして、或る段落から後は全く使わなくなってるけど、下の段落でも他人のツイートの表現を括弧書きで引用してるなら、そこも太字にしなければエディトリアル・デザインとしての一貫性がない。この手の都内に蛆虫と同じくらいたくさんある「メディア」を自称する事業者に言いたいけど、あんたらの会社で働いてる人たちって、本当に編集の勉強とかしたことがあるのかね。

さて、映画評論家の町山さんが Twitter で「また逃げた」と評していて知ったのがこの件だった。「また」という意味は僕には正確に理解できないが、以前も東さんには似たような経緯があったのだろう。そういや、東さんはかつて「哲学担当取締役」として都内のベンチャーで何らかの(たとえ客寄せパンダとしてだろうと)役割を担っていたのだが、その成果って何だったのか、どこをどう探しても全く事績が見つからない。もう何年も前なので、そのベンチャーが事業者として生き残っているのかすら知らないし、そもそもなんという会社だったのかも実は大して興味はないから、まぁ哲学者としては些事きわまりないことではあるが、たぶん彼にとっては逃げたい黒歴史だったのかもしれない。だが、いったん下らないパフォーマンスをすると、こうして哲学者にすら後々まで冷笑のネタにされるということは分かったと思う。

で、このトリエンナーレとかいうイベントについてだが、まず最初にはっきり書いておくと、国旗や国家元首の肖像画を燃やす行為は大変に不愉快である。これは前にも、女性の性器をかたどるアーティストの件で書いたと思うが、人にあからさまな強い印象を与えることがアートだというのは、若者というか能無しに特有の勘違いでしかない。一定の訓練を受けて高度に写実的な絵を描ける人であれば、鑑賞した人に PTSD を引き起こすような「作品」だって作れる。僕のように芸術や美学の素養が殆どない者ですら、或る画面の前にカメラを設置して、そこで顔を写した人物のデータから、当人の腐乱死体の写真を合成するプログラムで画面に結果を映し出すことも可能だろうと想像できる。そして、われわれのように哲学科の大学院を出ていれば、そういうことに「アート」としての意義を与える屁理屈をひねり出すことなど業務日誌を書くくらい簡単だ。つまり、見識も素養もないクズが勝手に言ってる「アート」などというものは、たいていにおいてそういう愚劣な行為なのだ。

もちろん、多くの人々から愚劣だの遊びだのふざけているだのと罵られても生き残ったものが歴史に名を残す場合もある。有名な話としては、ミケランジェロの作品はチンコが丸出しなので、多くの人々から非難を浴びた。そして布をかたどった部品を後から追加された場合もある。しかし、いまでは誰もそんなことをしようとは言っていない。他にも、作品が世に知られた時点では圧倒的に低い評価しか受けなかった(というか非難された)作品でも残る場合はある。しかし、国旗を燃やすパフォーマンスを残してどうするというのか。政治的なメッセージとしてならともかく、そんなものを「アート」だというのは、簡単に言えば芸大で何の勉強をしてきたのかと言わざるをえない。そして、芸大で教えているていどの素養すらまじめに身に着けていない者が「常識を疑う」だのと天才ぶってバカげたことをしようと、それはアートではなく年季すら入っていない素人の大道芸にすぎない。

かなり本題からずれたので、東さんが今般の混乱においてイベントの運営側から身を引いたという件について書いておこう。まず彼のツイートからは、海外の作家から展示を中止する申し入れが続いていることへの「善後策」を津田さんに提案したが却下されたので辞めるという話が分かる。東さん自身も報道で展示の中止という意向を知ったというから、彼はこれらの作家から運営側の責任者と見做されているわけではなく、あくまでもアドバイザーとして関わっていただけだ。(たとえば、彼自身が海外の作家にアプローチして作品を持ち込んでもらった経緯があれば、普通は彼に展示の中止を申し入れたり相談するはずである。)よって、彼がアドバイザーを辞任することでイベントの運営に何らかの影響が出るわけではない。

しかし名義貸しであれ辞任したということが話題になるのだから、一定の効果を狙って(Twitter の鍵垢を開放してまで)記事にあるようなメッセージを出したのだろう。そして、彼が言っている、「展示中止に追い込まれた中心的な理由は、政治家による圧力や一部テロリストによる脅迫にあるのではなく(それもたしかに存在しましたが)、天皇作品に向けられた一般市民の広範な抗議の声にあります。津田さんはここに真摯に向かい合っていません」という指摘は正しいと思う。いまだに金髪兄ちゃんは何の公的なメッセージも発していないからだ。そして、続いて東さんが指摘する、「それら抗議は検閲とはとりあえずべつの問題です。日本人は天皇を用いた表現にセンシティブすぎる、それはダメだと『議論』することはできますが、トリエンナーレはその日本人の税金で運営され、彼らを主要な対象としたお祭りでもあります。芸術監督として顧客の感情に配慮するのは当然の義務です」という点にもおおよそ同意できる。

こうしてみると、僕の結論としては町山さんの「逃げた」という評価は不当だと思う。東さんが自分のメッセージを広く取り上げてもらう方法としては、アドバイザーのまま Twitter の鍵垢を開放したり、どこかのメディアでぶつくさと記事を書くよりも、アドバイザーを辞任するというパフォーマンスで注目を集めた方がメッセージが伝わりやすいと考えるのは自然であり、マスコミに囲まれて商売をしている都内の文筆業者としては仕方のない判断だろう。

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