Scribble at 2024-04-26 22:24:02 Last modified: 2024-04-26 23:04:08

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エスカレーターをどちらの側でも静止して乗れというキャンペーンが都内でも大阪でも始まっているようだが、一時的に駅員が叫ぶだけでは単なるパフォーマンスにすぎない。最初から手を抜いておきながら「できませんでした」などと言うのは、努力した事実だけで実績になる、日本とかいう後進国の国家官僚であればともかく、民間企業は結果が全てなので、そんなポーズに意味はない。本当にエスカレータで静止してほしいなら、常にそう働きかける他にない。なぜなら、エスカレータという乗り物には、そう利用せざるをえない物理的な制約や利用方法についての法令などないからだ。ということは、庶民がそれぞれ好き勝手に考えて利用することを止めることはできないのである。しかるに、人々が勝手に、そして特に法的な問題があるわけでもなく習慣を作ってしまっているのだから、それを「是正」するには生半可なことでは無理だ。

僕ら利用者の中には、もちろんエスカレータの片側を空ける習慣を馬鹿げた「文化土人」どもの風習にすぎないと思っている人もいる。しかし、だからといって自分で(たとえば大阪なら左を空ける俗習があるのだが)敢えて左側に静止して立つかというと、それには現実的に色々なリスクがある。よって、適切さを体現するメリットと、そういう色々なリスクとを比較衡量すれば、やはりリスクの方が大きいと思う人が多いのも確かだろう。

実際、僕はさきほど Osaka Metro 谷町線の天満橋駅で、さほど混んでもいないので下りのエスカレータで左側に立ったのだが、後ろからやってきた、いい歳をして白髪を殆ど整髪もせずに肩まで伸ばしたオッサンが(東京に比べて、こういう宅八郎みたいなキモいオッサンが大阪には非常に多い。たぶん、民度とか年収とか幾つかの理由はあろう)、追い越し際にブツブツと文句のようなことを言いながら通り過ぎていった。あれが大阪名物のチンピラや、ブツブツ文句を言うだけでは済まないレベルの精神異常者だったら、現実に何らかのリスクが高まっていた可能性もある。

こちらが適正なことをやっていて、相手が不適正なことをやっていても、一般論として馬鹿というのは自分が適切なことをしてるかどうか反省したり疑うことを知らないから馬鹿なのであって、馬鹿を相手にどれほど正しいことをやっても、ひとまず社会的には圧倒的に不利である。そんな連中に逆ギレされて何かされたらどうするというのか。僕が相手をどうにかしたら、馬鹿が怪我をしようと些末なことだが、僕は正当防衛と認定されなければ社会的な地位を失ってしまう。馬鹿が勝手に逆ギレしたせいでだ。そんな理不尽なことはないだろう・・・という思考が「差別だから良くない」というのであれば、さてはて意識高い系の口先左翼の諸君は、逆ギレしてきた相手に黙って殴られながら、「それでも俺達が正しい」とガリレオのようにつぶやくのだろうか。

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