References - 船場センタービル
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orcid.org/0000-0002-7867-2654, Google Scholar, PhilPapers.
First appeared: 2018-05-24 12:27:45,
Modified: 2018-05-24 22:04:07, 2018-05-26 20:53:20,
Last modified: 2018-06-09 21:48:03.
はじめに
このページは、当サイトで公開している特定のテーマに沿った幾つかのウェブページで、それぞれが共通に参照している書籍やウェブページなどを一つの参照・参考文献表(references, bibliography)として集約しています。そのため、各ページで記載している典拠表記(“[河本, 2018: 10]” のようなフォーマットで、参照した文献やウェブページ等を指し示している箇所)は、こちらの参照文献ページで該当する典拠を参照していただくと、具体的にどういう書名でどこの出版社から出た本なのかが分かったり、どういう雑誌の何号に掲載された論文なのかが詳しく分かります。なお、ご利用にあたっては以下のような注意点があります。
- 便利ではあるかもしれませんが、典拠表記では [河本, 2018] のように外部リソースへ直にリンクを張りません。また、このページの文献表に列挙された該当する文献へのリンクも張りません。特に外部サイトのリソースは、遷移した先のページが永続してアクセス可能であるという保証がありませんし、不正アクセスを受けて汚染されている可能性もあるため、URL (URI) をご紹介します。リンクはしているので、アンカーからリソースをご覧いただくのはご自由ですが、当サイトはアクセス先のコンテンツを保証しません。
- Wikipedia のエントリーを参照する場合にお馴染みとなっているように、ウェブページについては、特定の日付において履歴として記録されている固有の内容を参照している場合があります。それ以外の日付、特に日付けを指定しない最新のページでは、内容が変わっている場合もあります。
- 文献についても、僕が実際に目を通した版の書誌情報を優先して表記します。仮に僕が或る本の第2版を読んで、その本は既に第3版が出版されているとしても、僕が優先して記載する書誌情報は第2版のものです(それが正確な「典拠表記」というものです。自分が読んでもいない本の情報を、それが「最新の」情報だというだけで優先して表記するのは、はっきり言ってただの嘘つきです)。したがって、それ以降の新しい版では内容が変わっている場合もあるでしょう。
- 学術専門雑誌に掲載された論説・論文・ニューズレター等については、リダイレクトして最新の URL へ転送する “URI”(学術論文の場合は DOI 等の identifier と呼ばれる指示子)を参照先としてご紹介するようにしていますが、サイトによっては URI の表記がないか即座に探せないデザインとなっている場合があるため、常に URI を参照先として記載しているわけではありません。馬鹿げたデザインによって多くの人が DOI を知らないままリンクが切れたリソースに辿り着けなくなるのは不幸ですが、それは僕たち学術研究者の責任ではありません。
それから、このような典拠表記の方法は一定のレベルで学術研究の訓練を受けた人にはありふれた「作法」のようなものであり、こうする方が色々な点で便利だったり合理的だったりします。見かけの煩わしさに耐えきれず、衒学的だと不平を言ったり反感を覚える方もいるとは思いますが、世の中にはこのように物事を研究したり、情報や意見を交換する仕組みがあるということを知る良い機会だと思ってください。
文献・ウェブページ
- 原田 泰
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2001
『都市の魅力学』, 文藝春秋 (文春新書, 160), 2001.
- 橋爪紳也
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2018
『1970年大阪万博の時代を歩く』, 洋泉社(歴史新書), 2018.
- 石堂正三郎, 太田洋一, 新居洋子, 大倉良司, 斎藤 昇, 中根芳一
-
1972
「船場センタービル地下駐車場の空気汚染について」, 『空気調和・衛生工学会大会 近畿支部発表会論文集』, セッションID: 9 (1972), pp.47-52.
- 石本建築事務所
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2018
「船場センタービル外壁改修: 大阪府大阪市 2015年」, http://www.ishimoto.co.jp/products/3232/, accessed on April 5th, 2018.
- 革洋同
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2016
「阪神高速道路とあの建物の権利関係ってどうなってんの?(2)船場センタービル」, 骨まで大洋ファン, http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c3a8.html (accessed on May 26th, 2018).
- 嘉名光市, 増井 徹
-
2011
「船場センタービル建設に至る経緯とその計画思想に関する研究: 基本構想(案)・実施計画(案)の分析を通じて」, 『都市計画論文集』, vol.46, No.3 (2011), pp.685-690.
- 文章の冒頭でいきなり1行分まるごと欠落している。読むときは他にも欠落がないか注意したい。
- 黒田隆幸
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2001a
『月の石 —— 都市復権にかけた中馬馨 命の軌跡 【上巻】』, 同友館, 2001.
-
2001b
『月の石 —— 都市復権にかけた中馬馨 命の軌跡 【下巻】』, 同友館, 2001.
- 川名吉ェ門
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1958
「大阪都心部再開発における問題点」, 『日本建築学会論文報告集』(大会号第2部), No.60.2 (Octover 1958), pp.361-364.
- 高阪雄一, 斉藤 潮
-
2004
「戦災復興都市計画における都市と港を関係づける手法に関する研究」, 『土木計画学研究講演集』, No.30 (2004), pp.149-152.
- 株式会社熊谷組
-
2015
「大阪・中央大通にある商業ビルの外壁約1kmを大規模改修 船場センタービル外壁改修工事:熊谷組の今:熊谷組」, No.75 (2015), http://www.kumagaigumi.co.jp/now/update75.html, accessed on April 1st, 2018.
- この改修については、『新建築』(2017年1月号)の178頁にも紹介されている。
- 三浦行雄
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1982
「船場の道路」, 『大阪春秋』, Vol.10, No.1, SN.31 (January 1982), pp.82-90.
- 水内俊雄
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2004
「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」, 『立命館大学人文科学研究所紀要』, No.83 (February 2004), pp.23-69.
- 名武なつ紀
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2006
「戦時・戦後復興期における大阪都心の土地所有構造」, 『歴史と経済』, Vol.48, No.2, NS.190 (January 2006), pp.1-17.
- 岡山 茂, 木葉竹英樹, 福元通明, 佐藤 實, 小川哲男, 加藤弘之, 木内二三夫
-
1991
「座談会 道路一体建物について(阪神高速道路の現状)」, 『不動産カウンセラー』, No.4 (1991), pp.4-24.
- 社団法人日本不動産鑑定協会(現在は公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会)の不動産カウンセラー部会が発行していたもの。現在は独立の NPO 法人である特定非営利活動法人日本不動産カウンセラー協会となっているが、『不動産カウンセラー』は発行していないもよう。
- 大阪市, 株式会社大阪市開発公社
-
1967
『築港深江線船場ビル〈仮称〉』, 大阪市総合計画局築港深江線建設室, 1967.
- 大阪市
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1992
『新修 大阪市史 第8巻』, 新修大阪市史編纂委員会/編, 大阪市, 1992.
- 大阪市都市整備局企画部住環境整備課まちなみ環境グループ
-
2018
「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」, ページ番号: 266754, http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000266754.html, accessed on May 6th, 2018.
- 大阪市土木技術協会
-
1995
財団法人大阪市土木技術協会, 『大阪市都市計画街路 築港深江線「船場地区」建設事業誌』, 大阪市建設局/監修, 財団法人大阪市土木技術協会, 1995.
- 大阪市開発公社
-
1989a
『築港深江線と船場センタービルの誕生まで』, 財団法人大阪都市協会/編集協力, 株式会社大阪市開発公社, 1989.
-
1989b
『大阪市開発公社25年史』, 財団法人大阪都市協会/編集協力, 株式会社大阪市開発公社, 1989.
- 大阪市都市再開発局
-
1978
『座談会 大阪の戦災復興(その一)』, 大阪市都市再開発局, 1978.
-
1979
『甦えるわが街 ——戦災復興土地区画整理事業(東地区)——』, 大阪市都市整備協会/編, 財団法人大阪都市協会/編集協力, 1979.
-
1982
『座談会(その四)都市整備をめぐる戦前戦後の回想 ——高津さんをかこんで——』, 大阪市都市再開発局, 財団法人大阪市都市整備協会/編集協力, 1982.
- 大阪商工会議所
-
2013
『ニューズレター(支部概況報告)』, 大阪商工会議所, No.271 (December 2013).
- ROSS
-
2018
「船場センタービルの歴史」, https://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/fbac0fe58b0d35eba9bbcd60b13a1de4, accessed on April 10th, 2018.
- 船場げんきの会, 愛日地域活動協議会
-
2018
『今日からあなたも船場人 船場ガイドブック2017』, 船場倶楽部/協力, 2017, http://semba-genki.net/category/guide, accessed on May 6th, 2018.
- 篠原 修, 天野光一
-
1986
「都市高速道路の景観設計思想の比較研究」, 『土木計画学研究・論文集』, Vol.3 (1986), pp.89-96.
- 戸松 稔, 西井和夫, 津島康弘
-
1994
「密接関連性に着目した街路整備によるネットワーク形成に関する定量評価分析」, 『土木学会論文集』, Vol.1994, No.494 (1994), pp.87-95.
- 津田盛之
-
2004
「流通政策の効果・評価 —— 卸売業店舖集団化事業を事例として ——」, 『大阪産業大学経営論集』, Vol.5, No.2 (2004), pp.31-47.
- 内田勝敏, 橋本 徹, 大月 明, 広川禎秀
-
1984
「座談会 戦後大阪史の出発点」, 『大阪の歴史』, No.11 (February 1984), pp.32-61.
- Wikipedia contributors
-
2018
“船場センタービル,” Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%88%B9%E5%A0%B4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AB&oldid=67989080 (accessed April 4th, 2018).
- コタツ記事レベルの付け焼刃な情報の羅列を「概要」と称して掲載している、ウィキペディアでも質の悪い記事だと思う。
用語の定義
当サイトで、船場センタービルに関連して作成・公開しているページでは、紛らわしい言葉による誤解を防ぐため、用語という体裁で幾つかの言葉を定義して使っています。船場センタービルについて書かれた当サイトの他のページでは、これらの用語は何の説明もなしに使っています。
- 「棟」
- 船場センタービルの1号館から10号館の個々の建物は、「ビル」,「棟」,「館」という単位名で呼ばれたり書かれていることもありますが、まず「ビル」だと船場センタービル全体との区別がつかなくなる恐れがあります。そして、船場センタービルは法律上は1号館から10号館が「3棟」に分割して登記されているため、「棟」という単位名を個々の建物に使うのも不適切かもしれません。また「館」は呼称としてのみ使われていて、建物の単位として「1館」などと書くと、「1号館」のことなのか「一つの建物」なのかが紛らわしいため、これも使いません。とは言え、これでは使える言葉が無くなってしまいますから、船場センタービル全体との混同を招かないことや、既に設計案などで使われていた単位名である(例えば [大阪市, 1967] では「むね」と平仮名表記ですが「棟」が使われています)ことをふまえて「棟」を採用します。なお、船場センタービル内での個々の棟の呼称は「1号館」や「8号館」となっており、これを「1棟」とか「8棟」などとは呼びません。つまり、ここでは建物の数え方の単位の話をしているわけです。
- 「東棟」「中央棟」「西棟」
- 上記の、個々の10号館や4号館という建物の数え方としての「棟」とは別に、登記上の単位として扱われている表現も、船場センタービルに関する著作物では頻出します。そのため、「東棟」(1号館~3号館)、「中央棟」(4号館~9号館)、「西棟」(10号館)という表現も使います。
- 「○号館○通りの○出入口」
- 船場センタービルの出入口や通用口はたくさんありますが、正式な名称は分からないので、暫定の名前を付けました。一例として、下記の地図は8号館を表しています。利用客が他のビルや南北の横断歩道からビルへ入ってくるときは、たいていオレンジで示した四つの出入口を利用します。これらを、それぞれ「8号館北通りの西出入口 (3)」、「8号館南通りの西出入口 (4)」、「8号館北通りの東出入口 (5)」、「8号館南通りの東出入口 (6)」と表記しているので、他のビルについても類推してご理解ください。