References - 鹿持雅澄
Contact: takayuki.kawamoto@markupdancing.net
ORCID,
Google Scholar,
PhilPapers.
First appeared: 2018-06-20 20:29:29,
Modified: [BLANK],
Last modified: 2021-01-28 09:41:22.
はじめに
このページは、当サイトで公開している特定のテーマに沿った幾つかのウェブページで、それぞれが共通に参照している書籍やウェブページなどを一つの参照・参考文献表(references, bibliography)として集約しています。そのため、各ページで記載している典拠表記(“[河本, 2018: 10]” のようなフォーマットで、参照した文献やウェブページ等を指し示している箇所)は、こちらの参照文献ページで該当する典拠を参照していただくと、具体的にどういう書名でどこの出版社から出た本なのかが分かったり、どういう雑誌の何号に掲載された論文なのかが詳しく分かります。なお、ご利用にあたっては以下のような注意点があります。
- 便利ではあるかもしれませんが、典拠表記では [河本, 2018] のように外部リソースへ直にリンクを張りません。また、このページの文献表に列挙された該当する文献へのリンクも張りません。特に外部サイトのリソースは、遷移した先のページが永続してアクセス可能であるという保証がありませんし、不正アクセスを受けて汚染されている可能性もあるため、URL (URI) をご紹介します。リンクはしているので、アンカーからリソースをご覧いただくのはご自由ですが、当サイトはアクセス先のコンテンツを保証しません。
- Wikipedia のエントリーを参照する場合にお馴染みとなっているように、ウェブページについては、特定の日付において履歴として記録されている固有の内容を参照している場合があります。それ以外の日付、特に日付けを指定しない最新のページでは、内容が変わっている場合もあります。
- 文献についても、僕が実際に目を通した版の書誌情報を優先して表記します。仮に僕が或る本の第2版を読んで、その本は既に第3版が出版されているとしても、僕が優先して記載する書誌情報は第2版のものです(それが正確な「典拠表記」というものです。自分が読んでもいない本の情報を、それが「最新の」情報だというだけで優先して表記するのは、はっきり言ってただの嘘つきです)。したがって、それ以降の新しい版では内容が変わっている場合もあるでしょう。
- 学術専門雑誌に掲載された論説・論文・ニューズレター等については、リダイレクトして最新の URL へ転送する “URI”(学術論文の場合は DOI 等の identifier と呼ばれる指示子)を参照先としてご紹介するようにしていますが、サイトによっては URI の表記がないか即座に探せないデザインとなっている場合があるため、常に URI を参照先として記載しているわけではありません。馬鹿げたデザインによって多くの人が DOI を知らないままリンクが切れたリソースに辿り着けなくなるのは不幸ですが、それは僕たち学術研究者の責任ではありません。
それから、このような典拠表記の方法は一定のレベルで学術研究の訓練を受けた人にはありふれた「作法」のようなものであり、こうする方が色々な点で便利だったり合理的だったりします。見かけの煩わしさに耐えきれず、衒学的だと不平を言ったり反感を覚える方もいるとは思いますが、世の中にはこのように物事を研究したり、情報や意見を交換する仕組みがあるということを知る良い機会だと思ってください。
文献・ウェブページ
- 浜田数義
-
1961
「方言退化現象の一考察--鹿持雅澄の『幡多方言』について--」, 『国語学』, 第46集 (September, 1961), pp.82-88.
- 鹿持雅澄
-
詠稿
『雅澄詠稿』(宮内庁書陵部、函架番号:405.223, マイクロフィルム請求記号:0100052014; 国文学研究資料館).
-
遺稿
『鹿持雅澄遺稿』, 高知大学文理学部国語学国文学研究室/編・翻刻, 鹿持雅澄百年祭奉賛会, 1958.
- 雅澄没後100年の記念として出版された非売品なので、図書館で手に取るか古書として入手しないと読めません。「万葉集記聞」「月夜の燭」「闇夜の礫」「古学大意」の四作を翻刻しています。
- 鴻巣隼雄
-
1973
「鹿持雅澄における国学と皇朝学 : その家系・家門意識と土佐古典学の成果」,『立正大学文学部論叢』, no.46 (1973), pp.19-37 (http://hdl.handle.net/11266/3185).
- 公益財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター
-
1992
『県史跡 鹿持雅澄邸跡: 県史跡鹿持雅澄邸跡整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』 (廣田佳久/執筆担当), 1992-03-031 (http://doi.org/10.24484/sitereports.10880).
- 小西甚一
-
2010
『古文の読解』, 筑摩書房(ちくま学芸文庫, コ30-1), 2010 (1st., 1962).
- 尾形裕康
-
1944
『鹿持雅澄』, 中央公論社, 1944.
- 小関清明
-
1955
「鹿持雅澄の属した階級について」,『高知大学学術研究報告』, vol.3, no.3 (1955), pp.1-4 (http://hdl.handle.net/10126/2601).
- [小関,1992] に「『ほこ取るつら』への昇進」と改題して所収。
-
1956
「鹿持雅澄の靑年時代 -二つの新資料の考察-」,『高知大学学術研究報告』, vol.4, no.34 (1956), pp.1-13 (http://hdl.handle.net/10126/2686).
- [小関,1992] に「青年時代の日記」および「青年時代の歌稿」として所収。
-
1957
「鹿持雅澄雑考」,『高知大学学術研究報告』, vol.5, no.24 (1957), pp.1-12 (http://hdl.handle.net/10126/2728).
- [小関,1992] に「雅澄伝拾遺」の一部(一~四)として所収。
-
1958
「鹿持雅澄年譜稿」,『高知大学学術研究報告』, vol.6, no.14 (1958), pp.1-21 (http://hdl.handle.net/10126/2761).
- [小関,1992] に「鹿持雅澄年譜」と改題して所収。
-
1966
「鴻巣隼雄氏の「飛鳥井家譜」作為説は妥当か -鹿持氏家系考 (一)-」,『高知大学学術研究報告 人文科学編』, vol.14, no.8 (1966), pp.101-109 (http://hdl.handle.net/10126/1307).
- [小関,1992] に「『飛鳥井家譜』作為説批判」と改題して所収。
-
1979a
「柳村家の人々 -鹿持氏家系考(三)-」,『高知大学学術研究報告 人文科学編』, vol.27 (1979), pp.77-91 (http://hdl.handle.net/10126/1447).
- [小関,1992] に「柳村家四代の人々」と改題して所収。
-
1979b
「『飛鳥井家譜』書簡考 -鹿持氏家系考(四)-」,『高知大学学術研究報告 人文科学編』, vol.27 (1979), pp.93-117 (http://hdl.handle.net/10126/1448).
- [小関,1992] に「『飛鳥井家譜』書簡考」と改題して所収。
-
1992
『鹿持雅澄研究』, 高知市民図書館, 1992.
- 第3回 (1992年) 高知出版学術賞(公益財団法人高知市文化振興事業団)。高知県は『土佐史談』など市井の歴史研究が盛んな土地らしく、公共図書館がこのような学術書の出版を助成している。それに比べて、公共施設の予算を削り放題削って刹那的イベントを誘致する渡航費に使っているどこかの自治体など、いかにも「維新」という言葉が空虚に感じられてならない。
- Wikisource contributors
-
2018
“万葉集 (鹿持雅澄訓訂),” Wikisource, https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86_(%E9%B9%BF%E6%8C%81%E9%9B%85%E6%BE%84%E8%A8%93%E8%A8%82).