英語の勉強について

河本孝之(Takayuki Kawamoto)

Contact: takayuki.kawamoto (at) gmail.com.

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First appeared: 2019-02-23 22:25:05,
Modified: 2019-04-11 10:29:38, 2019-04-16 15:53:41,
Last modified: 2019-06-30 00:53:02.

はじめに

本稿は、英語の勉強について色々なテーマを取り上げる。そして、取り上げているテーマの多くは中学から大学まで英語を勉強した人なら誰でも口を挟めるような話題ではあるものの、その多くが本人の僅かな経験に頼る偏った議論にすぎないので、ここでの議論も僕自身の経験が限られていることを理解したうえで、誰にでも当てはまるとは限らないという前提を置く。そして、本稿の目的は、僕が英語を勉強してきた方法をつまびらかに列挙したり勧めることでもなく、その是非を決めることでもない。僕は、英語のユーザとしては全くの平凡な人間なので、自分の経験が誰かの役に立つかもしれないとは思うが、僕のやってきたことに賛同したり従ってもらいたいなどとは思っていない。

松本亨さんの話

もう松本亨さんと言われても知らない人が大半だろうし、そもそも僕と同じ年代の人々でも英語の勉強に特別の関心がなければ知らない人も多いとは思う。それに、松本亨さんは僕が中学に入って英語の勉強を始めた1981年には亡くなっていたのであり、彼が長らく務めたという NHK ラジオの『英会話』というプログラムも聴いたことがないから、彼が英語の話者としてどう喋っていたのかすら僕は知らない。しかし、それでも僕は松本亨という人物には一定の影響を受けている。なぜなら、僕は彼が書いた『英語の新しい学び方』(講談社, 講談社現代新書52, 1965)という本の愛読者だったからだ。他にも、中学に入って英語の勉強について色々と調べたり試していた頃に、同じく英語教育の本では著名な松本道弘さんの著書にも触れて、「なるほど、僕はまだ*級の使い手か」などと感じては奮起させられたものであった。(なお松本道弘さんの著書については、他の記事として書き改めることとしたい。)

松本亨『英語の新しい学び方』

英語を学んでいるときに影響を受けた人物としては、他にも塾の先生がいた。お名前は忘れてしまったが、一時期だけマンツーマンで指導してもらい、そのときに桐原書店の高校の参考書を使い込んだことがある。先生曰く、中学生であっても文法を体系的に解説している高校の参考書を使って勉強した方が効率が良いとのことだった。これは、僕がプログラミング言語を仕事で勉強するときにも従ってきた方針だ。実際、「〇〇を作りながら覚える**言語」のような、書いている側はシンタクスの必要事項を網羅するように構成して書いているのだとは思うが、それをわざわざ場当たり的にストーリー仕立てにしたり具体的な目標を立てて解説しなくてもよいと思う。逆に、機能を使うコンテクストを具体的に決められてしまうような説明だと先入観ができてしまう。数学でもそうだが、いつまでも鶴亀算をやっているだけでは方程式を解いたり解析学の定理を証明できるようにはならないのである。そして、自分の知識や経験や技能を役立てる有効な手段というものは、結局のところ物事を体系的・抽象的・形式的に理解する訓練と、それを色々な場面で応用してみるという好奇心やチャレンジの組み合わせなのである。前者があって初めて信念を持てるし、後者があって初めて理解は向上したり洗練するものだ。

Mastery 高校 新総合英語 3訂版

そして更に、この先生から勧められて使い始めたのが、松本亨さんも勧めている、いわゆる英英辞典だ。どの英英辞典がいいと具体的には勧められなかったが、(なんと言っても中学生だったので)LDOCE の基本単語集を買って一通りの勉強をしてから、当時は一色刷りだった Longman Dictionary of Contemporary English の初版を手に入れた。いまでこそ多くの辞書に採用されているが、その当時は語義の語彙数を制限して記述するという辞書が目新しかったので、語彙が少ない中学生が最初に使うのに最適だと思ったからだ。覚えている方もおられると思うが、昔の英英辞典は語義の記述がそもそも難しくて、特に Webster の辞書は語義を理解するために英和辞典を使わないといけなかったほどだった。それに比べて LDOCE は語義を別の辞書で読み解く必要がない。中には、語彙が限定されているからか回りくどい言い回しの語義もあるにはあるが、それで LDOCE や英英辞典を放り投げる理由になどなるまい*

Longman Dictionary of Contemporary English

*確かに、語義を説明されて何のことかは分かるとしても、それを日本語でどう言うのかを知らなければ、英語で生活はできても翻訳家や通訳にはなれない。したがって、回りくどい表現で語義を理解するよりも英和辞典に書いてある日本語の方がすぐに分かることもあるし、他人である日本人に伝わりやすいことも多いので、英和辞典にも有利な点がある。しかし、学校で無理やりに教え込まれるのとは違って、多くの人が自ら英語を勉強する目的は、英語を他人のために日本語へ訳すことではないはずなのだ。これも松本亨さんの著書に出てくる指摘であり、英語教育において何度も指摘されてきた話題だ(つまり学校教育では英語《を》訳すテクニックを教えており、英語《で》理解したり、英語《で》表現することを教えていない)。

次に、松本亨さんの著書から僕が影響を受けて実際にやっていることをご紹介しよう。まず、次の一節を引く。

辞書をひいたら,その単語にしるしをつけておきます。2度目に同じ単語をひいたときは,それを最後にするつもりで,notebook に書きうつします。この notebook は,book of shame と思って,内ポケットに忍ばせておいて,電車の中で,こっそり復習するために使います。ただし,そこに記入する words には,日本語の訳もなにも書きません。ただそれだけを書いておいて,最初から順々に暗記していきます。

松本亨『英語の新しい学び方』(講談社現代新書), p.193.

上記をヒントにして、単語集を作るときに僕が守っているのは、訳語を書かないというルールだ。知らない単語だけを赤字で書いておき、それが出てくる文を書くと、脈絡とセットになって単語が登場する。こういう単語帳を使い始めた当初は、その脈絡が単語の意味を思い出すヒントになってしまったり、単語の意味を限定する先入観になるのではないかと心配したのだが、そういう心配は英語で生活できるレベルの人間がすればいいことなのである。「学習」している段階の人間は、四の五の言わずに詰め込むことこそ勉強においては王道なのだ。もちろん無味乾燥な作業に耐えられない人も多いので、自分なりの工夫はした方がいい。しかし、いずれにしてもやることは「覚えこむ」という意味において同じであり、なんやかんやとやる前に自分で不安材料を見つけたり欠点をあげつらうのは、要するに勉強したくない人間の言い訳にすぎない。

僕の使ってた単語帳

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「英語ペラペラ」という幻想

英語の勉強がしたいという人はたくさんいるし、好き嫌いはともかく必要だという人も多いが、そうした人たちがたいてい誤解しているのは、(1) 日本で学べるのはあくまでも日本で流通している範囲の情報にすぎないという当たり前の事実を分かっていないということと、(2) 自分たち自身の日本語の運用能力や、自分たち自身の素養・知識についての思い込みがあるということだ。

まず (1) については、英語を勉強する人々の中で、現地で生活するために必要だとか、あるいは業務で習得しなくてはいけないという切実な事情がある人は、既に英語を使わざるをえない状況に置かれている立場であるからには、何をどう勉強してもいい。まずはがむしゃらに勉強しないとどうしようもないのであり、それは他の国へ足を踏み入れる行商人や犯罪者らが遠い昔から延々とやってきたことなのである。それに比べて、学校教育のお勉強だの、字幕を見ないで映画が観たいだの、アメリカに旅行して話したいだのという、言わばカジュアルな動機で英語を勉強する人の殆どは、もちろんアメリカやイギリスへは行ったこともなければ、実はアメリカやイギリスについて、歴史だろうと行政システムだろうと、あるいは歩いていてウンコしたくなったらどこへ行けばいいかすら学んだことがない人たちであろう。或る言葉をアメリカで現地の人たちが気軽に話しているのを聞いて理解するための、実生活という経験もゼロである。もちろん僕らにも言えることだが、現地で流行っているテレビ番組のセリフや広告のキャッチフレーズをもじった表現などは、現地で生活していないと理解できないし、まず相手に言われてもピンと来ない。確かに Philosophy of Science に掲載される学術論文に出てくることはないから仕方のない話だが、映画を字幕なしで観たいとか、現地で話してみたいといった、カジュアルな勉強をしている人たちが思い描いている実生活で使われる表現として、こうしたフレーズは膨大な数に上る。そして、そういうものは決して日本で発売されている辞書の類には掲載されないし、辞書の語義を眺めているだけで語釈が正確に分かるものでもない。スラングを集めたような本を片っ端から読んでいる人などもいるようだが、そんなことで南部の黒人が話す訛りまで分かるものでもなかろう。現実に使われる言語というものは、これはスラング、これは訛り、これは業界用語などと区別して相手が使ってくれるという保証などないのであって、その多くの原因は英語のネイティブであるアメリカ人も、その多くは (2) で挙げたように、母国語の能力が欠けているからなのである。(TPO に合わせて言葉が選べない人なんて、日本で日本語を使って会話している大人でもたくさんいるのは誰もが知っているだろう。それに気づかないなら、それはあなた自身の日本語の運用能力が低いからなのだ。)

ということで (2) について話を進めると、これはしばしば英語の幼児教育に反対する人々の根拠にもなっているとおりである。きわめて簡単に言えば、相対性理論を(ブルーバックスを読んだというていどにすら)理解していない人が「そうたいせいりろん」という単語を覚えたところで、そんな語彙は役に立たない。自分で何かを考えるためのツールとしても役に立たないし、相手に「あれは相対性理論に照らしたら起きない筈のことだ」と言われても理解できないだろう。あるいは子供に “administration” という単語を教えたところで、子供にはそれがどういうことなのかという概念がないのであって、“to perform executive duties” と言い換えたところで同じである。更に、“to manage us like your teacher” などと子供に分かる範囲で説明しなおしたとしても、それではニュアンスが全く伝わらない。たぶん、そう説明された子供は、大統領も学級委員も、あるいはテレビのリモコンを握るおとーさんも “administration” していると思ったり言うだろう。或る意味ではそうだと言えるのも確かだが、そういう雑な語釈をつかむだけで言葉を習得していくと、母国語であれば周りとの会話で早期に修正したり調整するチャンスがあるけれど、外国語を独学したり試験問題だけで学ぶ場合は調整不能と言ってよく、現地で使い始めても相手からは「変な英語を喋る人」として扱われたままだ。ちょうど、僕らが留学生の日本語をいちいち修正したり調整などしないのと同じで、アメリカ人も相手の英語をいちいち指摘などしないし、リベラルな人が多いと言われる西海岸地域ですら英語の扱いが下手だと差別の対象になって、指摘どころか全く相手にされなくなるのである(これは強調しておくべきだと思うが、アメリカはあらゆる種類の差別の先進国である)。したがって、英英辞典の語義では《それがどういうことなのか》を理解するにはニュアンスや制約条件が足りず、結局は教えるべき人が(いればの話だが)的確な状況で使って見せるしかない。しかし、英語を学びたいという人の多くは単独で勉強しているため、そんな的確な語釈を示してくれる相手などいない。すると、英英辞典の語義を眺めて過不足なく語釈を記述しているかどうかを自分で判断しなくてはいけないという英語の能力を、英語の学習者が要求されるなどということは無茶な話だと分かるだろう。

もちろん、どこまで準備すれば英語を学ぶだけの知識や経験があると言えるかは分からない。しかし、上に紹介したとおりのミスマッチが見過ごされたまま英語の幼児教育が普及して、日本語も英語も半端な能力しかなく、それどころか日本と英語圏の生活や知識についての理解も不十分と言える、日本の成人としても英語圏の成人としても半端な人々が育っているように思う。そして、実のところ日本の社会や企業の大半は、日本で英語が使える人間を評価などしていないし採用する必要も感じてこなかったし、それで十分だったのである。実際、テレビでの扱いを見れば分かるように、英語が話せるというのは「芸」の一つにすぎない。沖縄出身、横浜出身でインターナショナル・スクールに通っていましたとか、オーストラリア出身とか、母親がアメリカ人だとか、その手のプロフィールはアイドル歌手や俳優の「オプション」であり、その人物の個性でもなければ強みでもなんでもないのである。もちろん、アメリカの帰国子女だというアイドルに、アメリカでレコーディング・スタジオを使う際の契約書を読ませたところで、彼女らはその当否について何も分からないだろう。そして、当然だが芸能プロダクションは現地のエージェントや日本人の弁護士に依頼して契約書をチェックさせるに決まっている。それは、英語を読み書きできるということと、契約書面の法的なリスクを判定できるということは、全く異なる知識や経験が必要だということを、ぜんぜん英語が話せなくてもまともな大人は理解しているからである。

したがって、そろそろ英語を運用するということについての間違ったロールモデルの典型である、「英語ペラペラ」という馬鹿げたイメージをばら撒くのはやめてもらいたい。馬鹿は、たとえ英語で話していても、馬鹿なことを英語で話しているだけなのである

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単語集をつくる人々へ

単語集や文法の本は、本当にたくさん出版されている。学校の試験や受験だけではなく TOEFL や TOEIC や英検などの qualification にも対応する色々な編集方針の書籍が出ている。僕がそろそろ英語の勉強でも始めようかと思い始めた頃から40年が経過しても、その傾向は全く変わらない。もちろん、そのあいだには幾つかの名著や定番と言われる著作物もあって、文法では多くの人たちが江川泰一郎さんの『英文法解説』(金子書房, 1991)を挙げるだろう。また、英単語では「豆単」と呼ばれた赤尾好夫さんの『英語基本単語集』(旺文社, 1995。アマゾンのレビューで「豆『短』」と変換して推敲すらしてない人が意外と多いのは何か皮肉な印象を覚える)や「シケ単」「でる単」と呼ばれた森 一郎さんの『試験にでる英単語』(青春出版社, 1997。赤尾さんの単語集もそうだが、これらは復刻版なので1990年代の出版となっている)が有名らしい。「らしい」というのは、僕はこれらの単語集を一度も使ったことがないからだ。いや、これらどころか、僕は大学を出るまで英語では単語集を使ったことがないので、ここ数年は初めて単語集を色々と買ってみて教えられるところも多い。

僕が単語集を使わなかった理由は、かなり単純だ。辞書には「重要語」として見出しに星マークが付いていたり別の色で見出し語が印刷されていたりするものだ。そういう目立つ単語から順番に抜き出してノートへ書いていけば、重要な単語だけを集めたノートになる。何もわざわざそれを別の本を買ってやる必要などない。昨今は多色刷りが当たり前になって中華料理屋のメニューかと思うような辞書ばかりが並ぶようになったが(こういう書籍の版下デザイナーは “Nascar effect” という言葉をプロとして聞いたことすらないらしい。あるいは英語学者というのは素人の分際で紙面のデザインにも口を出すのだろうか)、昔は重要な単語の見出し語は文字が大きくなっていたり太字になっていて、それだけでも区別はできた。もう現在の子供は見出し語にラメ入りのインクでも使わないと、重要な見出し語を区別できないのではあるまいか・・・当てつけはともかくとして、単語集を買う人というのは、そういう作業の手間や時間を惜しんで書籍を買っているのだろうとは思ったのだが、実はその当時から、その手間こそが単語を覚えるために必要なプロセスなのだと思っていたため、単語集を漫然と読んでいるだけの人は何度も繰り返して復習しなくてはならなくなり、全ての単語を身に着ける所要時間は大して変わらないのではないかと思っていたのだ。であれば、自分でノートを作った方が安上がりだし、なにより自分の好きな体裁でノートを作れる。B5 ノートで作りたければそうできるし、A7 の非常に小さいコクヨノートでも作れる。あとからメモを書けるように下の5行分だけ空けておくといった工夫もできる。もちろん、これは自分のやり方が最善だという思い上がりにもよるわけだが、しかし勉強において大切と思える一つのポイントは押さえていると思う。

そして色々な種類が出ている単語集、とりわけ奇妙な編集方針をセールス文句にしたものを敬遠していたのは、やたらと文字のサイズや色をたくさん使い分けてみたり、動物などの漫画テイストにしたりという手法を、作っている人々が自分の勉強に使ってきた形跡がまるでないからだ。つまり、或る手法で単語集を編集するという方針に何の実証も論証も存在しないなら、それは単語集の著者が「こうやれば覚えやすいだろう」と思い込んでいるだけの話かもしれないのである。それが、いかに東大の英語学の教授であったり、英字新聞の元編集者だったり、アメリカ在住ウン十年の人だとしても、的確な教材を作る能力があるという保証は何もない。僕は、大阪教育大学の附属小学校から附属高校まで、色々な教諭の教育手法のモルモットになってきて、そういうことはよくわかっていた。学習や教育というのは、正直なところ大半が個人的な経験という貧弱な支えしかない、プライベートな試行錯誤の積み重ねであって、信頼できる理論とか思想というものは(もちろん21世紀の現在でも)殆どない。

単語集をつくる人は、一度でもいいから自分が知らない分野や言語について、自分が提案する手法で自分自身が初めて学び始めてみて習得しやすいかどうかを、自分で勉強して確かめてから出版していただきたい。そうすれば、単語集の本質なんて「どの単語を選ぶか」だけが重要であり、そしてそのていどのことであれば既に辞書があるし、オンラインでは English-Corpora.org のようなコーパスを無料で利用できるし、こうした巨大なデータベースを使った無料のアプリケーションも続々と出ている。これまでの惰性や思い付きの目新しさだけで単語集など作り続けていても、そのうち単語集どころか、オンライン・サービスによって英語の教員すら不要という時代になるかもしれないのだ。

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音声データの提供方法

特に資格試験の教材や英会話の教材では、会話やスピーチとして実際に発せられている様子をヒアリングすることに大きな効果がある。そのため、幾つかの方法で音声データが提供されているのだが、今回は残念ながら購入しても有効に音声を活用できないと思える失敗例を二つご紹介しておく。

失敗例1

まず、『ALL IN ONE』という総合テキスト(文法、単語集・・・第一候補で「丹後州」と出たが、Microsoft の人間は日本にこんな行政区があると思ってるのかな? ・・・あるいは読解の内容を兼ね備えたもの)で知られる高山英士さんという方が作った『ALL IN ONE TOEICテスト 音速チャージ!』という単語集だ。これは、もともと『新TOEIC TEST英単語・熟語高速マスター』という黄色い本として発売されていた冊子から多くの例文が引き継がれているので、改訂版と言ってよいものだが、改訂版は例文が減った代わりに文法の解説などが加わって、単語に比重を置いた『ALL IN ONE』だと考えられる。ただ、そうなると従来の「ALL IN ONE』とも重なることになる。実際、この方の出す本はプロダクト・デザインという観点から言っても、装丁に統一感が全く無いため、直感的にどの本がどういう目的で、どういうレベルの人に向けたものなのか、装丁では殆ど分からない。受験参考書のチャート式のように、色だけで「センター試験レベル」とか「理系難関レベル」などと分かるような明解さが欠けているし、英語の教材としても不必要かつ人を混乱させる無駄なフレーズが多い。英語の運用者としての実力はあるのかもしれないが、いささか悪い意味でのマーケティングに走りすぎている人という印象がある。

それはそれとして、僕がこの『ALL IN ONE TOEICテスト 音速チャージ!』を買って失敗したと思った理由は、既に Messages に書いたとおり、音声データを利用するために専用のアプリケーションをインストールしなくてはならず、もちろんユーザ登録が必要なので個人情報とのバータになり、しかもアプリケーションの運営会社は中国系だという。購入者にこれだけの手間をリスクを負わせないと音声データひとつ提供できないなら、出版する側は音声データが自由に MP3 ファイルなどで第三者にコピーされたりすることを恐れているということである。ということは、英語でもよく言う “the next logical step” として推論できるように、この手の教材の本質は、実は冊子ではなく音声データの方にあり、音声データを繰り返して聴いていれば冊子の教材なんかなくても単語を習得できるということである。英語と日本語でスキットがまとめられているのだから、音声データだけで自立した教材だと考えても違和感は無い。よって、音声データを簡単にコピーさせないように、専用のアプリケーションにユーザ登録しなければいけないという牽制をかけているものと思われる。

しかし、問題はそのアプリケーションだ。開発元が中国人の経営する、別に教育事業を専門にしているわけでもない、何の志があるのかも不明な都内のベンチャーが作ったイージーなアプリケーションで、いまどき教材配信や電子書籍の配信に特化した SDK を使えば中学生が数時間で作れてしまうようなものである。そして、このアプリケーションは、直感的にどう操作すればいいのかまるで分からないにも関わらず、ヘルプが一切無い。スマートフォンに音声データをダウンロードする機能はあるようだが、UI だけではどうやればダウンロードできたことになっているのか、何の notification も indicator もない、いまどき HAL など専門学校の学生が卒業制作で作るアプリケーションよりもレベルが低いと言える(実際、ファイルマネージャで該当するフォルダを見てもファイルが何も無い)。よって、Wi-Fi が使える環境でストリーミングで音声を聞くしか方法がない。これでは気軽に好きなときに勉強するわけにも行かず、また教材そのものも実質的には旧版を改善したものなのかどうかも判断し難い内容なので、僕はこの改訂版は放置して、旧版だけを引き続き使って、旧版の場合は教材の発売元である Linkage Club のサイトから MP3 ファイルとしてダウンロードできるので、それらをスマートフォンに入れて使っている(それほど難しい単語集ではないので、どちらかと言えばヒアリングや英語を聴く環境を維持するために使っているのだが)。そもそも収録されている単語は殆ど同じなので、黄色い旧版を持っている場合は買わなくていいと思う。

ちなみに、後からあたためて audiobook.jp へユーザ登録して、シリアル・コードを入力してから、MP3 ファイルを全てダウンロードできた。結局、Android のアプリケーションなどインストールする必要はなかったのだ。まったく不要なので、サイトに記載してある手順は無視して audiobook.jp にアクセスする方がよい。

失敗例2

そして次に、つい先日の給料日にジュンク堂で買ったのが、『CD3枚付 英語で話す力。141のサンプル・スピーチで鍛える!』というスピーチの教材だ。40年近く前に都内の三流学生や三下サラリーマンに流行した「ディベート」と同じく、一つのテーマについて Yay, Nay, そして中立的な立場からのスピーチを集めたもので、会話とかヒアリングの教材ではない。内容を読むと、この教材でヒアリングや、いわゆる「英会話」の力をつけるのは、殆ど不可能だと思うので、もしアメリカ人やオーストラリア人と話す機会に備えたいといった理由で教材を求めているなら、これはぜんぜん主旨が違うので、お勧めしない。

内容はともかく、この教材で問題があるのは、附属している CD-ROM の音声データだ。いまどきの CD-ROM のデータにプロテクションがかかっていて、単純に WAV ファイルや MP3 ファイルが記録されているわけではないだろうという予想はつく。しかし、購入者まで使い辛いと感じるようでは、やはりプロダクトの設計としては問題があるだろう。そもそも、いまだに英語関連の雑誌では当たり前のように CD-ROM を付録にしているが、いったいいまどき誰が CD プレイヤーなんて持ち歩くというのか。あるいは、CD-ROM から音声データをいちいち吸い出してスマートフォンに転送するためのアプリケーションを探したり、そういう手順を調べたりする購入者が、どれくらいいるだろうか。CD-ROM などという、記録媒体としても、それから利用するためのデバイスとして、およそ汎用性がなくなっていると断言していいものに頼っている時点で、全くもって旧来の出版社や印刷屋の「マルチメディア」という古臭い認識でしかものを作っていないということがわかる。

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