2019年03月10日に初出の投稿

Last modified: 2019-03-10

Windows 用の GUI シェルとしてエクスプローラの代わりとなる「互換シェル」を使ったり、そのサイトまで運営してきた人間が言うのも変だとは思うが、僕はコンピュータを購入して何もカスタマイズしていない環境で使うユーザ・インターフェイス、つまりは「ディフォールト」のシェルの扱い方が、結局は最も重要だと思う。(ちなみに、しばしば Windows では explorer.exe がシェルだと言われるが、 それは正確には GUI 環境での話であって、DOS のコマンドライン・シェルである cmd.exe が Windows のディフォールト・シェルである。)

先日、FreeBSD のディフォールトになっているシェルの tcsh について情報を集めたサイトを立ち上げようと考えて、公開の準備を始めた。csh や tcsh を「レガシー」だの「オワコン」だのと言っては、OS をインストールした直後にディフォールトのシェルを bash へ切り替える人は多いが、その切り替え手順を実行するのは tcsh であることが多いわけだし(もちろんインストール用の ISO イメージを作成するときにシェルを換えるオプションを使う人はいるだろうが)、いつでも自分に都合のいい条件でコンピュータを扱えるとは限らないのだから、ディフォールトの環境について知っておくことが望ましいと思うからだ。

そういうサイトを作ろうとする理由は、他にも、これまで長らく使われてきたプログラムであるにもかかわらず、csh/tcsh についての情報が、国内どころか海外でも情報が未整理だったり散逸しているように思えたので、可能な限りアーカイブしたりまとめておこうと思ったからでもある。僕は、後から生まれた世代が先の世代を否定したり越えて行くことを推奨したり望んでいるが、それは膨大な分量の基礎的な教養や成功と失敗の歴史を叩き込むという、敢えて設けた高いハードルを越えられない無能には決して賞賛や権威を認めないという条件が付いている。こうした過去の成果や経緯を正確に理解し、記録や記憶に留めた上で乗り越えることが、過去の文化や文明の残滓を正当に破壊したり棄却する方法なのだ。単なる不勉強によって過去の成果を無視したり、あるいは現在の標準を単に何か違うものへと置き換えるというだけなら、そんなことは人がやらなくてもいいだろう。A, B, C とラベルを貼った果物を並べて、チンパンジーか犬にでも選ばせたらいいだけである。(要するに、僕は「ナウいから bash を使う」ような人は犬畜生だと言っている。悔しければ、人間並みの教養や知性を持つことだ。)

さて、「ディフォールト(default)」というのは、コンピュータ用語でしかニュアンスを理解していない人は「所定の」とか「初期設定の」という意味合いだけで使っている言葉だと思うが、本来は「責任を果たしていない」とか「債務不履行の」という、言わば悪い意味の言葉である。 つまり、コンピュータを使うユーザは、自分がどうやってコンピュータへアクセスするかというインターフェイスの設定を自分の用途に応じて「カスタマイズ(customize)」することが義務だったのである。なぜなら、1台のメインフレームと呼ばれる大型の汎用コンピュータを目的の違う人々が利用していた時代は、無駄なリソースを使わないように設定しておくことが責務でもあったからだ。現在は1台のコンピュータ(もちろん iPhone のようなスマートフォンもコンピュータであり、1970年代の CRAY-1 のような大型コンピュータよりも高性能であり、プロセッサの処理速度で200倍、トランジスタ数が20,000倍、RAMの記憶容量は200万倍である)を一人で使うのが当たり前になっているので、リソースをどう使うかは自分の好きにしていいかもしれないが、もともとカスタマイズというのはデスクトップの壁紙をアイドルの写真にするといった意味ではなく(笑)、ディフォールトから目的に応じた設定に変えるという意味でもあり、しかもそうしなければいけなかったのである。

よって、用途に応じてシェルを変更したりシェルの動作設定を変更することは、寧ろコンピュータを利用するユーザとして望ましいことであり、したがって僕は FreeBSD を使うユーザとしてログイン・シェルを tcsh から zsh や bash に変更すること自体には何の問題もないと思うし、tcsh が起動するにあたっての環境変数やインターフェイスとしての設定を変更することにも異論はぜんぜんない。それどころか、それぞれのユーザが必要に応じてカスタマイズすることは望ましいと思うし、業務上の作業条件といった状況によっては、カスタマイズは作業者に課せられた責任であるとすら言えるだろう。僕は、こういう話と、「tcsh はダサい」といった目くそ鼻くその雑談(しばしば「宗教戦争」だの「神々の戦い」だのと美化する連中もいるが、哲学者である我々から見れば、しょせんは下らない御託にすぎない)とを一緒にするなと言っているだけである。

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