2019年06月26日に初出の投稿

Last modified: 2019-07-11

ついに子どもたちにも「語彙力」ブーム到来! 語彙力格差に負けないためにできること

もともとたいていの国には格差や実質的な社会階級というものがあるのだが、広告や報道による集団催眠(意図的だとは限らない)で大多数の人々が「中流意識」をもっていると、もともと凡俗というのは馬鹿なので更に気づきにくくなる。よって、本来はセーフティ・ネットや福祉制度や社会インフラを堅実に整備しなければいけないところを、サザエさんよろしく同じ環境が未来も続くかのような錯覚に陥る。実のところ、「平和ボケ」などとネトウヨが叫んでいるものの本質はこれであって、戦争があろうとなかろうと凡俗は本質的に馬鹿のままでよければ馬鹿のままでいるしかないのだ。もちろん、格差が拡大したり、もともとあった社会階層の区別があらわになったからといって、こういう自称メディアがバラ撒くカルチャー・スクールや幼児教育に金をかけたらいいという短絡は、まさに格差の上位にいる連中の《制御》に乗っかっているだけとなる。なぜなら、このようなメディアでものを書いているような人々に利益をもたらしたり、こういう人々が誘導するビジネスにお金を落とすことこそが、格差を固定する結果になるからだ。これは、後進国の産業を比較優位というデタラメな理屈で固定し、或る国は珈琲豆の生産国、或る国はスリッパの製造国などとして固定する、「開発独裁」と呼ばれる悪行と構造は同じである。 そういえば、今朝の『NHK おはよう日本』でも語彙力を高める辞書が売れているという、おまえら日経新聞かと思うような宣伝報道があったが、そこに登場した、語彙力を高めようと辞典を使っている高橋総一郎とかいう人物のインタビューを観ると、おおよそ次のようにカリカチュアできる(実際にどう言っていたかは忘れた。記憶するに値しない)。 「辞書的なものを使うというブブンがぁ、色々な気づきというポイントというカタチでぇ・・・」 ・・・みなさんの周りにも、ここ数年ほどやたらと「エビデンス」とか「カルチャー」といったルー語を振り回す、三流会社の営業みたいな人が増えていると思うが、しょせん日本の英語教育など行き着くところはこの程度だ。もともと英語を勉強する目的も動機も必要もない人間が東大の入試で満点を取ろうと、5年後には都市銀行や財務省の会議室で「バーター」などと口走っているのが関の山である。 そして、マスコミの影響で20年くらい前は「~ね。」という語尾が大流行して公園のカラスまで口真似したものだが、ここ最近の流行は「~というカタチ」と「~というブブン」だ。これらも、他の流行と同じように言い切って責任を負いたくないという、いかにも「日本的」と言えそうな欺瞞的謙遜の表れだろう。 凡俗がやることというのは、表面的には多様性があっても、しょせん馬鹿にできることなど限られているので、本質的な愚かさは同じである。(かといって、有能で優れた人々の多様性が《本物》であるという保証はない。それを、ノベール賞だなんだという世俗的な評価を無視して弁えるのが哲学者というものだ。)ともかく、この高橋という人物は語彙を増やす辞典など読む意味はない。実際、語彙というものは英単語の勉強と同じで、自分が自分の言いたいことを表現するのに使わなければ有効に会得できるものではないわけで、手軽で薄っぺらい辞書を暇つぶしに眺めているだけで表現力や語彙力が向上するなどというのは錯覚である。 受験についても言えることだが、日本では非科学的で馬鹿げた勉強の仕方や読書の方法を、作家だの大学教員だの元新聞記者だの東大生を3人育てた母親だのという下らない肩書だけで気軽に出版し過ぎである。そのような多様性は、実は長期的には淘汰されてまともな意見に収束する《可能性》はあるが、われわれ数十年の寿命しかない生物の個体が、そういう長期的な(たぶん数百年のスケールだと思う)実験にコミットするのは馬鹿げている。

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