2018年05月11日に初出の投稿

Last modified: 2018-05-11

足立さんは戦前の関西学院中学に入れたという裕福な境遇にもあった方なんだけど、その後は色々と苦労したことが知られている。それに比べて、どうも神戸を中心とした彼のエピゴーネンというか関係者というのは、何を語っていても、もう雰囲気からして金持ちの道楽臭がするので全く興味がない。

やはりああいう文学は、というか文学そのものについて言えることだが、足立さんという個人として孤立して成立するものなのだろう。彼の「弟子」と言える人物は田辺聖子さんくらいしか知らないが、彼女の文学も、やはり成立しているとしても孤立したところにあると思う。同じようなことは他の多くの学問にも言えて、特に親子で同じ分野を専攻する学者一家というのが非常に珍しいという事実からしても、幾ら自宅に本がたくさんあったり親が専門の話を聞かせているような環境で育っても簡単ではないのだろう。そういえば、日本で親子で科学哲学を専攻している方というのはおられるんだろうか。ちょうど日本科学哲学会の会員名簿を更新して作成しなおしているようだが、いちいちそんな詮索をする気はないので、仮におられても知らない(名簿と言えば、今年から印刷はやめたようだが、紙切れだけで済ませるなら会員専用のサイトでも作って共有してもいいんじゃなかろうか。ちなみに学会サイト全体の制作や運用をボランティアでやってもいいと思っている)。

もちろん農家の子供が農民として生きることを比較して容易いなどと印象付けるために、こういう議論を持ち出すことは馬鹿げている。しかし逆に、個人の哲学や学問全般に対する関心や熱意や執着が、個人の何らかの欠陥とか問題といった否定的な事情で成り立つという話も安っぽい文学、つまりはストーリーテリングでしかなく、真面目に受け取るようなものではない。

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