2018年06月04日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-04

最近出された大阪市の報告書によりますと「最近の道路法の改正によって道路と一般建築物とが一つの敷地の中に共存する道が開かれたので、 今後はこのような事例が増加することと思われるが、 20年も前にすでにこのような手法を生み出していたのは大阪の知恵である」といった事が書かれています。

それで現存する長大な船場センタービルが出来上がったわけでありますが、 この「長大ビル」が今後どうなっていくかが、 船場にとってとても重要な問題であると思います。

築港深江線と船場センタービル

上記の引用は、阪大の鳴海邦碩さんが書いた「船場を読み解き未来を展望する」の中で船場センタービルについて書かれている一節だ。この文章は、都市環境デザイン会議関西ブロックが開催した「第9回 都市環境デザインセミナー『船場を読み解く』」という 2004 年のセミナーで発表されたらしい。もともとは同名の著作物を解説するためのセミナーとして開催され、この本はアマゾンで検索しても出てこないのだが、このページをホストしている京都の学芸出版社という会社の出版物なのかもしれない(出版社のサイトで検索はできるが、ヒットしなかった。古いデータは入っていないのかもしれない。また、このサイトは図書目録の表示だけが異様に遅く、恐らく共用のレンタルサーバで DB サーバが遅いか、あるいはプログラムの書き方がおかしいのだろう)。

些事はともかくとして、おおよそ15年前でも「この『長大ビル』が今後どうなっていくかが、 船場にとってとても重要な問題であると思います」などと書かれていたわけだが、結局のところ何が「とても重要な問題」なのかを明解に述べないからこそ、誰もそれが分からずに何も対応できないわけで、公共事業を取り上げる建築家や建築学・建築史学者の書く文章は、壮大な失敗事例である可能性が分かっていても、こういう誰も説明したり検証できもしない「疑似オープン・クエスチョン」を投げて終わることがあるのは残念だ。しかし、実際にはこの鳴海さんにも船場地区どころか大阪の経済の衰退は恐らく大局的に止めようがないことくらいは分かっている筈である。主だった大企業が本社を福島や中之島やグラン・フロントや新大阪や江坂へ移転させようと、大局的には無駄であり、それこそ一時的なカンフル剤としての意味があるくらいだろう。もちろん、そのとき取締役をやっている人々にしてみれば、短期的でも彼らの実績として残せるのであるから良いのだろう。しかし、その近視眼的な部分最適化への執着ゆえに、大阪や日本が全体としてグローバル経済の中で経済の規模を縮小していかざるをえなくなった(もちろん、その是非は別だ)ということは、もう既に高校生にでも分かるような話だ。

僕が思うには、仮に、船場センタービルの入居者や運営主体の開発公社に大ナタを振るって、船場センタービル全体をアニメイトとメイド喫茶とエロアニメの中古屋で埋め尽くしたり、端から端まで全て呉服店か扇子屋か刀剣屋か骨董品屋か古書店か鉄瓶屋で埋め尽くしたり、あるいは関西圏内の IT ベンチャーをかき集めてビル全体を埋めたとしても、そんなことではどうにもならないだろう。したがって、6年前に大阪府のグランドデザイン・プロジェクトチームが船場センタービルを撤去して道路を全て地下に埋設し直し、地上を全て公園にするというプランをぶち上げたことは、都市計画の現状認識としては(ビルを建設した当時の役人と同じていどに、計画・設計という観点しかもたない人間という同じ次元で比較していいなら)一考に価すると言ってよいだろう。もちろん、対策として公園にするのがいいかどうかは、にわかに判断しかねるが。

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