2018年12月05日に初出の投稿

Last modified: 2018-12-05

最近の Medium はネットワーク(フォローしてる人たち)のタグに連動して、表示される記事のテーマに大きな偏りがあると思うし、なによりも星付き(要するに paywall)が大半を占めるようになっていて、これでは cake と同じだ。もちろん読んで納得したら払うなんてことを、読むことで消費目的を果たせる商品に対して要求するのは不当な請求というものかもしれない。しかるに、読みたいなら先に対価を支払うという決まり事に何の疑問もないが、かといって「ジャケ買い」に値する人材が Medium に数多くいるとも思えない。よって、ジャケ買いを拒否して失われる機会で、どのくらいの見込み利益が無くなるのかを予想すると、実は Medium がいまこの瞬間に破産しようがしまいが些事でしかないということは分かる。

世の中には、もちろん「面白そうな話題」というものはたくさんあり、そして面白そうな話題について何か書いている人は大勢いる。しかし、それらを全て読むことはできない。あなたが「嫌われる勇気」とかいうクソみたいな理屈に興味があるとしよう。こんなものについて書かれた文章など、僕は企業の役職者なり勤め人として読む必要があるとは 1 mm も感じないが、それでも読みたいという人がいるのは確かである。だが、マズローだかアドラーだか知らないがマイナーな心理学者の理屈をほじくり返す、日本の無能なプロパーやアマチュアによくいる「インディー・ジョーンズ」が何を言っていようと、哲学的には些事でしかない。そして、あなたがこれらについて書かれた文章を読めるだけ読みたいと思っても、それは無理なのだ。タガログ語で書かれた論文があったら、タガログ語を勉強するのか。それに、100年後に出版されるかもしれない、未来のインディー・ジョーンズが書く本は読めないだろう(もちろん「論理的」に不可能とまでは言えないが、不老不死を求めるシンギュラリティ信者が何を期待しようと、少なくともいまの時点では無理だとしか言いようがない)。

そして、人は興味深い話題について何でも読んだり見聞きすればいいかと言えば、そういうわけでもない。なんとなれば、見聞きする時間と自分でものを考える時間とは、たいていの場合にトレード・オフの関係にあるからだ。そして、自分自身にとって納得のゆくように考えるどころか、自分が納得できるように何を知ったらいいかを見つけるためにさえ、映画鑑賞や読書や他人との議論や大学での聴講は時間やお金の浪費になる場合だってあるのだ。確かに、自分で考えるよりも何かを読んだり聞いたりして思い当たることが重要な場合もあるにはある。そういう受動的な経験が能動的な経験に劣るというのは偏見にすぎないと思うが、かといって受動的な経験を数多く求められるのは、実質的には時間や機会を自由に作り出せる特権的な人々や金持ちだけなのである。そして、そういう人々が自分自身の納得行くような結論を受動的な方法でそれぞれ見出すことに良いも悪いもない(金持ちが読書三昧しようと、そこからわれわれ貧しい人々にとってすら「正しい」結論が引き出される可能性もある。ただのルサンチマンで金持ちのやることを何でもかんでも否定するような人々は、そういう厳しい現実も理解しておくべきだろう)。しかし、少なくとも、それは普遍的な方法ではないのである。

ということで、たいていの人々は毎月の書籍代が5万円もあるような家庭で暮らしてはいないし、会社から帰ってきて読書する時間が3時間もあるような人は殆どいないという前提で、具体的な手順を考えるのが妥当な議論だろう。それよりも有利な条件で、読書だけでなく自分でものを考える時間を確保できる人は、面白そうな話題を全て追いかけるわけにはいかなくても、他の人々よりも寄り道するだけの余裕はあるので、そういう余裕を有効に活かすべきであろう。

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