2017年10月05日21時48分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-10-05 21:54:29

愛玩動物とはよく言ったもので、何をしようとペットはヒトが勝手に扱っている私有財産にすぎないのであって、もっとありていに言えば家畜も含めて「異種奴隷」である。人間社会の都合に合わせて生かすという大前提があり、猫かわいがりしてる主人にさえ忠実なら他人の子供を食い殺してもいいなどという法治国家は存在しない。よって、たまに公園でリードを外したり、あるいは街中で大きな犬を引き連れて我が物顔に歩いているバカを見かけるが、他人が正当防衛だと判断すれば、法律上では何百万円の血統付きであろうと即座に殺して構わないのである。犬には気の毒なことだが、ペットを飼うというのは、それだけで危険行為だと見做してよい。たかがセキセイインコでも伝染病の媒介者となるリスクはある。少なくとも、僕はセキセイインコが好きで何羽も飼ってきたが、そういう責任は感じながら接してきたつもりだ。

そういうわけで、僕はヒトも含めて生き物に多少の興味はあるし、動物をかわいがっている人々にも理解はあるのだが、ペットや家畜をいけしゃあしゃあと「家族」だとか言ってる人と動物の話をするのは苦手だ。ペットを飼うということについて、上記で述べたようなことを自覚せずにいるのは罪深いことだと思う。ブリーダーなんて或る種の犯罪者だと思ったほうがいいし、ペットショップというのは、これまで述べたような罪深さを自覚していないなら、それは単なるブローカーである。人身売買してるマフィアと、メンタルにおいては何の違いもない。

ペットは絶対に「家族」ではありえない。そんな観念は自分の罪深さを誤魔化す妄想にすぎない。しかし、もちろん高齢者医療の一環としてアニマル・セラピーなるものがあるのは分かる。人は妄想に身を投じながら死んでゆく権利もあるのだ。

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