論文博士の廃止について

河本孝之(KAWAMOTO Takayuki)

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First appeared: 2013-08-16 11:39,
Modified: 2015-07-15 13:05,2018-05-03 19:02,
Last modified: 2019-08-23 09:51:33.

多くの大学では、教養課程を修める 1, 2 年と専門課程を修める 3, 4 年を経てから、高度な専門課程を通じて研究者などのプロフェッショナルを養成するために、大学院を併設しています。

通常、大学院は修士課程と博士課程があります。最近では中学・高校の一貫教育みたいに、修士課程と博士課程を連続した養成期間と見做して、修士課程を「博士課程前期」、博士課程を「博士課程後期」と称する大学も増えてきているようです。修士課程は、ふつう 2 年で修めるものであり、博士課程は 3 年で修めるものとされていますが、僕のように修士論文の出来映えが気に入らない人は修士課程を延長したりもします。また博士課程を修了したあとでも、研修生などの身分で学業を続ける「オーバードクター」も少なからずいますし、大学から有給の研究者として雇われたり、学術振興会に支援してもらって研究を続ける「ポストドクター」も増えてきています。博士課程を出た後のパターンは色々ありますし、最近では飛び級などの制度があったりするので一概には言えませんが、ごくふつうの道のりを想定すれば、18 歳で大学に入り、博士課程(後期)を修了するまでに 9 年かかることになりますね。その時は 27 歳です。このようなわけで、潰しが効く学科を除けば、博士課程に進学するということは即ち通常の就職進路を諦めることと同義になっているのが実情です。(現実には、27 歳でも「新卒」とは言えますが、多くの企業では既に主任クラスとなっている人が多い状況では圧倒的に社会経験としては不利ですし、そもそも多くの企業では大学院を出た人間には「安っぽいプライドや、経営側にとって不都合な雑学をもってる面倒な奴ら」という偏見があるので、そもそも就職できません。)

さて、学部の 4 年間を修めて卒業論文が一定の水準にあると認められれば、「学士」の学位が与えられます。厚生労働省の調べでは、2005 年 3 月に大学を卒業するのは 55 万 2,000 人となっており、他にも看護学校など一部の専門学校や短大それから高専を卒業しても学士を授与されるケースがあるので、毎年ほぼ 60 万人くらいが学士になっていると言えるでしょう。で、調べていて驚いたのですが、その次に修士課程へ進む人はおおよそ 6 万人くらいとされており、なんと大学卒業者の 10 人に 1 人が修士課程へ進んでいるのですね。中でも工学系は、修士課程の単位を取って修士論文が認められると授与される、「修士」の学位を就職時に求められることが多いようです。そのため、工学系では就職のための最低条件として修士課程の卒業を考えている人も多く、修士課程へ進む人の 4 割くらいが工学系の学生と言われています。そこから先の博士課程になると、文部科学省が都道府県別に取った統計(2004年度)によれば、大学院の在籍者数は全国で約 24 万人とされており、博士課程の在籍者数は 1999 年の少し古いデータでも約 6 万人と数えられています。

学校教育法の規定によって、博士課程では、修養年限までに一定の単位を修めて論文の審査も通れば、現在は通称として「課程博士」(甲)と呼ばれる学位を授与されます(ふつう「博士」は「はかせ」と発音しますが、「博士課程」や「博士号」は正式には「はくしかてい」および「はくしごう」と発音します)。また、博士課程を修めた場合と同等の能力があると認定され、論文が認められると、博士課程を修めていなくても「論文博士」(乙)という学位が授与されます。もちろん、これも通称であり、制度上は「論文博士号」などというものはありません。人文・社会科学系では自然科学系に比べて選考が厳しく、或る程度の業績を上げた人でないともらえないとされてきましたが、いまはそうでもないみたいです。

さて、今回のメインテーマである「論文博士」ですが、このほど中央教育審議会の大学院部会で審議された経過内容が発表され、また中間報告(PDF)も発表されています。一部の報道で「論文博士が廃止になる」と報じられていましたが、この中間報告を見る限り、課程博士は修業年限内にきちんと指導して学位論文を作成させて、学位をちゃんと出そうとか、留学生にもっと積極的に授与していこうといった、学位授与を促進する話が中心になっていて、論文博士を廃止するとはどこにも書いてありません。一部の補足意見として紹介されている箇所はありますが、大学院教育を魅力あるものにするために論文博士を授与しないなどとは書いていません。大学院教育をどれだけ魅力的にしても、通学できなかったり時間的に無理な人は幾らでもいるわけで、当然この中間報告の中でも、社会人をはじめとする論文博士の取得希望者の実態について取り上げられています。ただ、大学院教育を充実させることが目的の分科会なので、例えば僕のように途中まで行っていて退学した人や、あるいは年限までに書けずに卒業してしまった人が、何年かして論文だけ出して学位を取るのはどうかという意見はあるようです。つまり、「年限内に論文は出せなかったけど、後で出して学位をもらおう」というのは、批判的な人から見ればジャンケンの後出しみたいなもんだ、ということなのでしょう。ともかく、この中間報告からすると、大学院で指導を受けられるような機会を増やすと言っていて、間接的に「授業料を払って大学に来なさい」と言っているように取れますが、あからさまに論文博士の制度を廃止するとかその方向を目指すとは言っていません。

なお、現行のいわゆる「論文博士」については、企業、公的研究機関の研究所等での研究成果を基に博士の学位を取得したいと希望する者も未だ多いことなども踏まえつつ、学位に関する国際的な考え方や課程制大学院制度の趣旨などを念頭にその在り方を検討し、それら学位の取得を希望する者が大学院における研究指導の機会が得られやすくなるような仕組みを検討していくことが適当である。

中央教育審議会「新時代の大学院教育- 国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて -中間報告」[PDF] (2005)

まぁ、私企業レベルとなったからには 57,000 円ていどの学位論文審査料だけじゃなくて、その 10 倍くらいの授業料を使ってもらう方がよいわけですから、「大学院教育の充実」というふれこみで「授業料と引き換えに学位を与える」といった、アメリカ西海岸の誰も知らないド田舎にある 3 流 MBA 専門大学院みたいな感じになるのでしょうか。いや、そうでもないと思うんだけど、「そうでもない」という余裕をかましていられるのは、少子化になろうと学生がどんどんきてくれる人気大学だけなのかもしれません。

ちなみに、僕としては先に専門の学会誌で何本か論文を発表して業績を上げることが望ましいと思っています。なぜなら、確かに研究職の要件として「博士の学位」は、これから必須になるのかもしれませんが、まだまだ学位としては修士号だけでも取ってくれる大学は多いし、学位に劣らず業績つまり論文の本数もかなり重要になってくると思うからです。うーん。でも、学位があったら応募できるかもしれないっていうパターンもあるからなぁ・・・・いま九州大学で「英米哲学・科学哲学」の募集があるんだけど、これは間に合わないっす。誰が入るんだろうなぁ。

追記・[2012-08-27 12.19 (JST: GMT+0900) @179]: NAIST の小町守さんが書かれている「PhD は哲学博士。」というエントリーも一読に値します。

追記・[2013-07-24 14.47 (JST: GMT+0900) @282]: 文部科学省の中教審が出している文書によれば、Qualifying Exam を採用して修士論文を廃止するという提案も出ている。

追記・[2015-07-15 13.06 (JST: GMT+0900) @212]: 2011年の記事だが「大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査」というものが出ていました。「来年度」というのは2012年に当たるので、既に幾つかの大学では実施されているようです(青山学院大学、立正大学、國學院大學など)。従来、大学院の課程を博士課程前期と博士課程後期に替えて一貫した課程を実現しようとしていたという経緯からは自然な措置のように思えますが、もちろんその良し悪しは別です。「専門分野に閉じこもるのを防ぎ、広い視野を持つ人材を育てる」と趣旨を説明していますが、基本的に大学院は専門分野を教育するための機関であって、「全人教育」のような精神論を振り回す場所ではありません。産業界なり「社会」なるものから期待されたり要求されて、大学の制度も変えていく必要のあることがらは色々とあるとは思いますが、他の分野や学問以外のことに目配せするなどということは、そもそも高校くらいからやる人はやっているわけです。僕自身の経験でも、周りにいる友人などとの会話であれば、弁護士志望の友人は法律や政治に関する大学の教科書なり専門書をかじっていましたし、経済学や経済思想に興味がある友人は『資本論』なり何なりを読み始めていました。こうしたことは、昔の旧制高校の時代なら当たり前のことだったはずですが、昨今の大学生は寮生活を送る人も少なく、団体生活がいいとは限りませんが、自分の生活や関心事に無理やり介入してくる他の事情というものがなくなっています。したがって、現今の大学生の生活スタイルは視野が狭くなる原因にもなっているとは思います。しかし、こうしたことを大学の制度として無理に作ろうとしても難しいでしょう。

追記・[2018-05-03 18.35 (JST: GMT+0900) @441]: 当サイトのコンテンツでは、この記事がいまだに多くの方に読んでいただいているので、また久しぶりに調べなおしてアップデートしておきたい。「論文博士は無くなるのか?論文博士と課程博士」という記事によると、2017年7月の時点では論文博士が廃止されていないと分かる。検索結果の上位から順番に見ているだけでも、総合研究大学院大学大阪市立大学広島大学大阪大学で2018年度の申請を募集しているし、日本学術振興会でも「論文博士号取得希望者に対する支援事業」を2018年現在も続けている。海外の制度との比較をもとにすれば、やはり指導を受けていない人物の論文だけで学位を出すのは(替え玉のような詐欺だけでなく)幾つかの懸念があるだろうし、企業のシンクタンクなどで「研究経験がある」とは言っても、それは大学を上回るハイパー蛸壺での近視眼的かつ世俗的な部分最適化の成果にとどまり、何億円のインパクトがある特許になろうとも、学術研究機関が学位を授けるほどのことなのかという気がしないでもなかろう(それなら、どうして街中の電気工事士に電磁気学の学位を出さないのか)。

加えて、こういう知性のカケラもない妄想オタクのコメントなどでも明らかにように、「素人(文科省)がプロ(大学)を支配する」などというルサンチマンで学位や教育制度を語るのは、学術と関係のない動機でものごとを考えている人間、つまりは大学で学術研究のてほどきを受けたことがない人間だと自己紹介しているようなものだ。あらかじめ注意しておくが、企業で研究に従事している人々は、こういうクズみたいな人間に煽てられて、社内で昇進の条件になっているなどというクソみたいな事情だけで国家の教育制度を語ってはいけない。

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