歩行論ノート

Takayuki Kawamoto

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First appeared: 2018-09-06 12:54:55,
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はじめに

このトピックを公開するにあたって趣旨を表明したページで述べたとおり、当サイトではエクササイズとしてのウォーキングやスポーツとしてのトレッキングではなく、公道を歩行するという(大多数の人々が、専用の装具や道具などわざわざ用意しなくても普段からやっている)ありふれた振る舞い、しかし法律や経済や道徳あるいはサバイバルの問題として真面目に取り上げられ難い着眼点や実務や対策を扱います。

なお、このページは歩行のサバイバルに関わる僕の思い付きや感想、あるいは自分で目撃した他人の危険な行動と回避方法(の提案)を書き留めるためのページであり、なんら体系的な整理を目的とはしていません。また、ここに書いたことを別のページでも話題にする場合があり、内容が重複する可能性があるので、ご了承ください。それから、気分によって敬体で書いたり常体で書いたりします。(メモなので、統一する必要は感じません。)それから、ページのファイル名を “Gait Notes” としたのは、“Gates Notes” のもじりです。

2018-09-06 12:54:55
天満警察署の前は小さな交差点になっている。ここで信号待ちしていると、たまに自転車で歩道を走ってきた高齢者が「お邪魔虫~」と言いながら歩行者に道を譲らせるという、不愉快な行動を見かける。日本語の発音として奇妙なイントネーションなので、日本人ではないのかもしれないが、在日中国人や在日朝鮮人であっても、もはや数十年も日本に住んでいて日本の交通法規を知りませんとか、ましてや朝鮮や中国の交通法規だけ知ってるなどという人間はいまい。要するにただの無知無教養な人間のわがままであり、国籍や性別や人種など関係がない。どこの国にも一定の割合でいる「変な人」だ。もちろん、演出の仕方によっては映画やテレビドラマによくいる、愛嬌のある、憎めない老人といったところだろうが、傲慢であることに変わりはない。これは何度でも多くの人が指摘して良いと思うのだが、道路交通法つまり法律では自転車が歩道を走るのは原則として違法なのである。例外的な事情があったり、自転車が通行できるように道路が整備されていて「自転車通行可」という標識があればともかく、大多数の歩道は、ジジイが運転しようと乳幼児を乗せていようと自転車が走ってはいけないのである。それゆえに、車道は老人が自転車で走ったり、子供を乗せた親がアンバランスな状態で走る可能性があることを想定して、安全に設計したり、自動車やバイクの運転車に自転車の通行を周知させないといけないのである。(2019-08-05: 例外的に通行できる人という条件があり、運転者が13歳未満もしくは70歳以上、または身体に障害を負っている場合は自転車で歩道を通行できる。)
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2018-09-06 13:39:12
通行していて危険と思われる状況の一つは、一か所に注意が向き過ぎてしまい、別の方への注意が逸れたり減ってしまうことだ。例えば、路側帯や歩道のない道を歩いているときに、沿道の店や住宅から人が出てくるのを避けて車道側へはみ出て歩くことがある。しかし、沿道の建物からかなりたくさんの人が出てくると、それらの人々とぶつからないようにしたり、避けるように歩こうとして、車道側への注意が欠けてしまう。このような場合に、得てして背後から音もなく自転車でギリギリの脇を抜けて行こうとする人がいて、後ろから衝突されそうになったりする。路上では、歩行者であっても複数の方向へ注意を払っていなくていけない。(これが良い事なのかどうかはともかく。)
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2018-09-06 13:46:18
ここ最近の課題の一つは、ハンズフリーで通話しながら自転車に乗っているバカ、イヤホンをして音楽を聴きながら自転車に乗っているバカ、そして片手で LINE かゲームでもしながら自転車に乗っているバカ、これらのバカに後ろから追突されたり出合い頭にぶつかって怪我を負ったりしないためには、歩行者としてどういう対策を事前に取れるのかということだ。もちろん、優先して選択するべき対策は、自転車で通行できない場所を歩くことだ。たとえば、船場センタービルの地下一階や地上二階の通路を自転車で通行する者はいないと思っていい(やろうと思えばできるが)。あるいは、自転車で通行する者もいるが、見晴らしがよくて道が広いので安全だという場所を選ぶことである。大阪にそんな場所があるのかと思わなくもないが、中之島公園は候補の一つだろう。それから商店街のように自転車で通行し辛い場所を歩くという一案もありうるが、もともと商店街を自転車で走る人は多いし、自転車で走りにくいのは店が開いていて買い物客がいる時間帯だけだ。大阪の場合は歩道の徐行規定など誰も知らないので、店が閉まる時間帯になると車道を走るのと変らないスピードで商店街を走る人も多い。
このような、自分で自分の耳を塞いで自転車に乗るという自殺行為を平気で行い、ましてや幼児を載せて自転車に乗っている親までいる現状は、やめるようにキャリアが率先して啓発すべく行政が指導するべきだとは思う。そもそも自転車に乗っているあいだ、エロビデオを観たり LINE でロクでもない会話ができなくなるくらいのことで、いったい何の生産性が下がるのか。誰が死んだり、どこの会社が倒産するとでもいうのか。このような所業は、自分の生命を危険にさらすだけではなく、たかだか愚にもつかない会話や音楽のために他人も危険にさらすという、「個人主義」などという思想の話に回収することが許されない、「愚鈍という名の暴力」である。無知・無教養は、他人に対する、つまりは社会防衛に対する暴力なのだ。
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2018-09-07 10:53:54
恐らくタクシーを待っているのだろうが、横断歩道の一角を占拠して立ち続けている人を見かける。多くの場合、タクシーを拾う際にガードの方へ進んでゆく人も多いのだけれど、もちろん危険ではあるから法的に正しいタクシーの拾い方ではない。それは分かるが、横断歩道でタクシーを止められると、人が一人で立って横断歩道を遮断するだけではなく、タクシーがそこで停車すると車全体で横断歩道を遮断してしまうことになり、非常に迷惑なことになる。ということを考えたりはしない人間だからこそ、横断歩道で対向から人が歩いて来ようと「タクシーを待つために横断歩道を占拠する権利」があると思い込むのだろう。実際、そういうことをするのは、多面的に物事を考慮する力が劣ってくる老人、もともと多面的な価値観や思考を教えられてもいないし尊重する気もない人、あるいは社用とか出勤するとか自分の用事が社会道徳に優先すると思い込んでいる勤め人など、それなりに事情を汲み取るべき人から非難されて当然の輩に至るまで、色々あろう。
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2018-09-12 09:53:28
https://kansai-sanpo.com/midosuji-walk/(JavaScript でコピーできないので、皮肉にも学術的に正当な引用や典拠表記すらできないため、誰の記憶にも絶対に残らないコンテンツとなってしまっている。愚かなことだ)という URL の記事で詳細を知ったのだが、御堂筋は将来の予定として車道が全て歩道になるらしい。記事の筆者は、全て歩道になると傲慢にスピードを出す自転車が危ないと指摘しているが、他の場所と同じく歩道専用路と自転車専用路くらい分離するのではないか。あと、御堂筋の車道がなくなると車が堺筋や四ツ橋筋に流入して他の車道が混雑すると言うが、そのために阪神高速の拡張工事をしているのだろう。ちなみに、御堂筋は南方向への一方通行道路であるから、同じく南下する堺筋や松屋町筋はともかく、北方向への一方通行道路である四ツ橋筋が混むわけない。
さて、この御堂筋を歩道にするというアイデアだが、なるほど記事のとおり全ての道を歩道にする必要があるのかと言われれば、僕にも妥当な根拠が思いつかない。「御堂筋将来ビジョン(御堂筋完成80周年記念事業推進委員会)」という大阪市の資料によると、道路を歩道に組み替えて御堂筋周辺の区画用途を変えて行こうとしているようだ。「人中心」というフレーズが強調されているのだが、これは要するに最近の船場地区に広がっている「テナントビルからホテル・マンションへの建て替え」というトレンドを追いかけたり助長したいという狙いがあるのだろう。当サイトの Notes でも指摘したことがあるとおり、いまや大阪の商業地区である「船場」から大企業の事業所がどんどん中之島や北ヤード(うめしん)へ移転しており、テナントビルが建て替えられた後に立つのは、もうたいていがマンションかホテルだ。船場センタービルの記事を熱心に制作していた頃に中央大通を頻繁に歩いていて、それは十分に実感している。大阪の船場地区は、既に大阪のビジネスの中心街ではなくなっているし、繊維業を始めとする卸や小売りでもパワーはどんどん落ちてきている。集客力があるのは、せいぜいミナミを中心とする観光客やオタク狙いの飲食店や衣料品店やビデオ作品など、要するに8号営業を中心とした風俗ビジネスである。大阪ではカジノを誘致する是非について議論されているが、大阪はとっくに観光客からは「その手の地域」だと見做されているのである。維新にしてみれば、「それやったら、そういう地域としてガッツリ儲けさせてもらおか」というノリなのであろう。
しかるに、維新や大阪市は、御堂筋どころか船場地区を「住環境としてマンションの建設が誘致しやすい地区にしたい」と考えているのではないか。そして、そういうことであれば特に反対も賛成もない。なぜなら、既に行政の思惑とは関係なしに、現実はそうなるように動いているからだ。僕個人は、The Kitahama とか「蒲鉾マンション」(シティータワー大阪を、個人的にこう呼んでいる)なんていう、火事や欠陥があって倒壊すれば確実に死ぬと分かっている建物に済むほどバカではないし、船場なんて場所が元からどうであれ住むつもりなど全くない。あの地区がビジネス街として維持されようとハチの巣みたいなマンションだらけの住宅街になると、そんなことは知ったことではないのだ。しかし、御堂筋の道路を全て歩道にしたところで、周辺のテナントビルが十数年のあいだにマンションに建て替わるほどのスピードで変化しているわけでもないし、竹中やヨドコウや大阪ガスや Elecom がすぐに北ヤードへ移るわけでもない。たぶん、大して現状の趨勢に大きな影響はないと思う。
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2018-09-13 09:31:43
危険・京阪東口
以前から気になっていたのだが、今日も京阪天満橋駅から東に進んだ「京阪東口」と呼ばれる交差点(ちょうど南東にテレビ大阪がある)で、横断歩道を渡ろうとする人々の前を全く一時停止もせずに横切っていく自転車が10台以上はあった(この交差点は歩行者の信号が全て一斉に青になるので、自転車は信号無視して突っ込んできているわけではないが、「車両」という自覚が足りないと思う)。一人として停止せずに、まるで自分たちが駆け抜ける特権でも国家から与えられているかのように、何の躊躇もない。このような人間のクズにぶつけられて、怪我をするどころか頭でも打ったら、別に客観的な価値の喪失なんて測らなくてもいいが、僕ら自身の主観においては自分の生命や人生が損なわれるのであるから、何らかの対策は必要だ。どだい、文化的な下層階級に遵法意識などない(というか、それゆえ彼らは文化的な下層階級なのだが)ので、これは全くもって我々(別にこう呼んだからといって、僕らが文化的な「上流階級」だと言いたいわけではない。僕らは凡人に過ぎないが、凡人が大半を占めるがゆえに大半を占める人間が正しく適正なことをやれば社会は良くなると思う。一部の下層階級が改心するなどというストーリーを、出版物の上でのポーズとしてならともかく、社会科学者として真面目に期待している者などいまい)がサバイバルとしてどう対処するかという問題に帰着する。
このような場合、一般論としても言えることだし、いま用意している「歩行論ハンドブック」でも丁寧に解説したいと思っているのだが、まず僕らが採れる対策は「別の経路を見つける」こと以外にはない。そもそも、人の話を聞かず、聞く必要があるとも思っていないような馬鹿どもを啓蒙するのは時間と労力の無駄だし、古今東西、そんなことを政府や偉人たちがやって社会科学的なスケールで言って効果があったと言える実例など一つもない(国家として強制したり法律を作ろうと、実態がどうであるかは既に大阪に住んでいれば誰でも知ってることだろう。もちろん飲酒運転は刑罰を重くして件数が減ったと報じられることもあるが、そもそも免許の取得率の高さに比較して自家用車の保有率はだんだん下がっており、生活において車に乗る人が減っているからという事情も考えられる)。それに、社会科学的なスケールで言って公衆の常識が変化するのは何十年という時間がかかり、しかもそれが良い常識に変化する保証もないわけであるから、明日にでも自転車に追突される恐れがあるような状況に置かれた我々が採るべき対策は、他人ではなく我々自身が正しい吟味や検討を経て判断し、実際に断固として行動へ移すことだけなのだ。
よって、京阪東口の横断歩道を渡って OMM ビルの前を進み、天満橋の京阪シティモールや八軒屋方向へ進むという経路を見直す必要がある。経路を大きく変えずに歩きたいなら、横断歩道を渡らずに大阪歯科大学の前を天満橋へ向かって歩けるのは確かだが、こちらは横断報道を渡った OMM ビルの側の歩道よりも混雑しているので、歩道としてそもそも歩きやすいかどうか保証がない。次に、南から歩いてきたとして、もっと手間の大手前交差点で西へ曲がるという経路も選択できるが、この大阪合同庁舎の付近は特に夜になると酷い悪臭、要するにウンコの臭いがするため、端的に言って好んで往来するような場所ではないと思う(合同庁舎の向かいには製菓業の専門学校があって、昔は辻調があったのだが、よくこんな場所に料理の専門学校があるものだと感心する)。ということで、僕の出退勤の経路はプライバシーでもあるから具体的にどこを歩くように変更したとは言わないが、京阪東口は帰路なら通ってもいい場合があるにしても、出勤するときは通らないこととした。
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2018-09-19 11:55:15
ともかく、どこの交差点にしても自転車で簡単に信号を無視して突っ込んでくる連中が多い。今日も、天神橋の北詰(橋を渡り始めたり渡り終わった場所を「詰」と言う。なお、ご存知の方も多いと思うが、ここには交番がある)で横断歩道を渡ろうとすると、天神橋筋商店街の方向から南へ向かって何台かの自転車が信号を無視して全く一時停止する様子もなく駆け抜けていく。同じような光景は大阪府警の前にある交差点でも、天満警察署の前にある交差点でも、それから大江橋北詰の交番の前にある交差点でも、渡辺橋北詰の交番の前にある交差点でも見かけるのだが、もう警察はこういう軽微な事案をいちいち注意する気もないらしい。無論、いまどき割れ窓理論など信奉してはいないが、ささいなことを何十年も舐めてきた結果が、「大阪」という土地柄に対する圧倒的な偏見に至っており、大阪で暮らしている人間たち自身ですら、そうであってみれば「負けたら終わり」というわけで更に粗野な人間となり、粗野な人間のままで放置することになるのではないか。もちろん、警察官は威張り散らすのが仕事ではないけれど、もう少し法律やルールに厳格でもいいと思うし、僕らも警察官や制度に敬意を払う必要がある。そして、やはり軽微なことでもルールを逸脱したり無視することは「良くない」ということ、そして、それがなぜ良くないかを丁寧に説明するような親が育つことを望みたい。気持ちいいことしたくらいで人の親になれると思うなよ、凡人ども。
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2018-09-21 17:14:03
通俗的な本では、「大阪のオバハン」の特徴として、自分こそ悪いことをしてるのに他人を恫喝したり睨んで正当化しようとするという習性が描かれたりする。もちろん民俗学や社会学も勉強した者として、こういう土俗的な習性は、とりわけ大阪においては軽率に扱うと地雷を踏む(たとえば特定の集団や地区の人々の風習や価値観を、もしかすると彼らがそうせざるをえないように仕向けた経緯が別にあったり、あるいは不幸な経緯などなく単なる習慣の違いでしかないにもかかわらず、「違う」というだけで罵倒したり違和感を表明してしまうことがある)ので、慎重に批評するべきことではある。しかし、例えば交差点で信号を無視して自転車で突っ込んで来て、「邪魔やろう!」と傲慢に怒鳴ったりするのが被差別者だったとして、それがいったい何の免罪符になるのか。一部の社会学者にならともかく、哲学者にそのようなクソ理屈は通用しない。
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2018-09-21 17:34:15
今日は出勤時に小雨だったので、船場センタービルを通って行った。8号館のエスカレーターで地上へ上がって、御堂筋まで9号館を抜けて行こうと思ったら、9号館の北東の出入り口にある自動ドアで扉が身体にぶつかってきた。センサーの設定とか反応する範囲にもよるが、自動ドアは人が真正面にいないとセンサーが検知できずにドアを閉めてしまうことがあるので注意したい。どうして中央からズレて自動ドアへ入ろうとするのかと言えば、もちろん色々なところで書いているように、僕は日本では道の左側を歩くのが当たり前だと思っているので、自動ドアでも出入り口の左に寄って、対面からドアを通ろうとする人とドアですれ違うように入っていくようにしているからだ。自動ドアの場所でだけ人の流れがドアの開閉時に中央へ集中すると、やはり人の流れがおかしくなる。自動ドアの設計者というのは、そのあたりはどう考えているのだろうか。
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2018-09-26 09:38:51
自転車の脇見運転
先に京阪東口の横断歩道は危険だと書いた。そこを通る土佐堀通を更に西へ進むと、天満橋の交差点へやってくる。なお、知らなかったのだが、天満橋の交差点を南へ下がった「谷町一丁目」の交差点までは、南北を走る道は「天満橋筋」と言うらしい。谷町一丁目の交差点から、初めて「谷町筋」となるそうだ。些事はともかく、ここは市内でも数少ない(というか全国どこでも最初から少ないが)スクランブル交差点だ。天満橋筋(南北) → 土佐堀通(東西) → 全ての歩道という順番で信号が替わるので、信号の替わる順番を知らず初めて乗り入れたドライバーが、土佐堀通の信号が赤になると同時にフライングで車を発進させる場合があるので注意したい。そういう事例があったからなのか、定期的に警察官が交通指導・取締りの一環として交差点で交通整理していることもある(天満橋の交差点に交番はあるが、ルーチンワークのように交通整理しているわけではない。交通警察を担う人員は別の部署なのだろう)。
しかし、危険なのは車だけではない。スクランブル交差点は、人や自転車の流れが文字通り「ごちゃまぜ(“scramble”)」となるので、もちろん人にも言えるが、とりわけ不注意な自転車の運転には歩行者として十分な警戒が必要である。特に、自分では周囲を見て注意しながら走っているつもりになっている人の自転車ほど、過信のせいで何の憂いもなく突っ込んでくるため、逆に危険極まりない。今日の朝も、歩道を斜めに走ってきた黒い服の女性が乗る自転車に後ろからぶつかられそうになった。本人は左ばかり見ていて、右側に横断歩道を歩いている歩行者がいるとは露ほども思っていないらしく、左を見たまま天満橋を北の方へ、歩行者とぶつかりそうになったことなど全く気付かずに向かって行った。最近、こういうのに出くわすと咄嗟に写真を撮っておいて、当サイトで公開してやろうと思っているのだが(もちろんパーソナルデータ法制の実務家として顔などは出さないし、そんな必要もなければ価値もない。どのみち交通規制を軽視している人間の顔つきなど他人に見せるようなものでもあるまい)、スマートフォンのカメラというのは起動が非常に遅くて使い物にならない。Google Glass は、いまや単なる産業労務者の補助器具に成り下がってしまったらしいが(笑)、この手のデバイスには少し期待はしている。何かを撮影したいと思ったら 0.1 秒以内に撮影できているくらいのレスポンスがないと、僕のような消費者を満足させるには程遠い。
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2018-09-26 10:36:47
歩道の途中で立ち止まるとき
歩道の途中で立ち止まる必要があるとき、もちろん歩行者は自分だけではないのだから、後ろからやってくる人や対向からやってくる人の邪魔にならないような立ち止まり方が望ましい。ひとくちに「歩行サバイバル」とは言っても、悪意どころか無頓着な相手の無自覚な振る舞いからどう身を守るかという、刺々しい態度だけで考えていてはいけない。こちらがどう振舞えば相手に無用なストレスを与えないかも大切だ。だいたいにおいて、凡俗というものは何が正しいかという基準で〈判断して行動する〉のではなく、何が自分にとってストレスになるかという基準で〈情動に任せて動作している〉にすぎないので、相手に理性的な行動を期待するよりも、昆虫のような「反応」を想定する方が正しい。
ということで、上記のイラストで描かれているように、横断歩道を渡るために歩道の途中で立ち止まるような場所へやってきたとき、青線のように後ろから歩いてくる人にストレスを与えないためには、いきなり止まるよりも、赤線のように後ろから来る人へ道を譲るように脇へ逸れるように進んで、「これから何かするぞ」という合図を後方の歩行者へ見せるのが望ましいだろう。ただし、左手に自転車用のレーンがあったり、左からまさに追い抜こうとしている〈ジョギング権の行使者〉がいたりすると進路を邪魔することになるので(公道でジョギングするような手合いが、「一旦停止」という公共道徳を「予定タイム」や「自己ベストタイム」という観念に優先させるとは思えないので)、無駄なトラブルを防ぐためにも「いまから止まる」という他の意思表示が必要だろう。(僕としては、交通法規ではなくとも交通のルールとして、歩行者も自転車に倣って片手を挙げて合図するようにしてもいいとは思う。)
もちろん、誰かの背後を歩いている場合には、前方を歩く人が横断歩道の前までやってきたら渡ろうとして停止する可能性があると頭に入れておくべきではある。それゆえ、歩行者どうしではあっても「〈者〉間距離」を維持する必要があろう。
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2018-09-26 11:27:12
道路の角の近くに車や看板を置かないで
角の付近に車が停まっていたり、大きな看板が置いてあると、角の反対側から来る歩行者・自転車・車などなんであれ、近くまで来ないと視認できない。これは Notes で前に指摘したことでもあるが、四ツ橋筋の西側を通って通勤していた頃に、西八千代ビルというビルの角に大きな看板が置いてあって、これのせいで角の反対側から歩いてくる人が全く見えないので、ここで歩行者が出合い頭にぶつかるというケースをしばしば目撃している。相手が自転車だと更に危ないので、こういうところに看板を置くのはどうかと、大阪府警のアカウントにメンションまで付けて Twitter でツイートしたことすらあるのだが、たいていの人はこういうことを軽視して何十年とクソみたいなサラリーマン生活を送って無自覚にストレスを貯めるのだろう。
角の付近に車を停めることなど、凡庸なドライバーであれば誰でもやることなので、自動車が侵入できる角であれば、どんな場所でも同じ状況が起きるかもしれない。よって、ドライバーを説得したり啓発するのは基本的に徒労である(そして、そういうことが基本的に徒労だと思うから、僕は「サバイバル歩行」を提唱しているのだ)。対策としては、角に車を停めてある頻度が多い場所を避けることと、角の反対側に障害物があった場合に、その脇から現れるかもしれない車や自転車に対処する方法を考えることだ。まず、角に車を停める傾向があるドライバーの多くは、そこに車を停めて荷物を運び入れたり出したりと、何らかの作業を一定の頻度でやっている可能性がある。どこの路上でも言えることだが、商売人というものは公道に看板を置いたり営業車を置くことが「金儲け権」という一種の生存権であるかのように思っているらしいので、歩行者にできる最善の対策は、スズメバチの巣があると分かっている場所をわざわざ通らないのと同じで、そういう場所を避けることだ。
もちろん、僕がそうであるように、自宅のあるマンションの隣で事業を営む人物が、公道の一車線をまるごと営業車で塞いでいるような状況だと、逃げようがない。このような場合は、「角の反対側に障害物があった場合に、その脇から現れるかもしれない車や自転車に対処する方法」として、車の窓ガラス越しに車体で隠れている方向に車や自転車が見えていないかどうか、確かめるようにすることが望ましい。視界が遮断されるとは言っても、車によっては窓ガラス越しに車の後ろの様子が分かる場合もあるからだ。もし看板のように角の反対側の視界が完全に塞がれてしまう場合は、ものごとの基本として、その看板について近くの交番に相談することから始めたい。公道上に看板を設置する権利など、日本国民には保障されていないからだ。それに、そのような看板の多くは設置した者が既に管理を放棄している場合もあるため、看板で宣伝されている事業者や店が事業を継続しているのかどうかも確かめて、もし広告代理店や出稿事業者が既に存在しない場合は、そんな看板は犬のクソ以下であるから、即座に撤去すればいい。ワイヤーなどで固定されてはいても、位置をズラすだけでいいなら、問答無用で蹴り曲げてもいいだろう。
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2018-10-02 22:08:05
ヴィアーレ大阪の地下駐車場出口
これは本町にある「ヴィアーレ大阪」というホテルの東側から見た、地下駐車場の出口だ。危険なことだが、車が出てくるときに事前の警報も鳴らないしサイレンのようなものが点灯するわけでもない。得てしてこんな繁華街のホテルなどに泊まっているのはチンピラと決まっているから、四桁はするがしょせんは成金が買えるていどの車が一時停止もせずに飛び出してくる。どのみち経営してる人間もラブホテルの経営者にすら劣るような手合いなのだろう。われわれ平凡な人間は、こういう人間のクズどもに被害を負わされてはいけない。三休橋筋は歩道がそれなりに整備された道路だが、北は守銭奴の巣窟、南はこういう愚か者の溜まり場となっており、どれほど古い洋館を残したり歩道を整備しても外見だけで取り繕うのは限界がある。
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2018-10-05 11:57:09
堂島川に沿った遊歩道
堂島川の北岸にある遊歩道は、朝の通勤時間帯でも人通りが少なくて歩きやすい。但し、帰宅する時間帯は街路灯が殆どないので、ジョギングのランナーに衝突されないよう注意が必要だ。治安については、さほど心配はないと思う。夜釣りをしている人や犬の散歩で歩いている人もよく見かけるので、全く人気がない場所というわけでもないからだ。この遊歩道は天満橋を渡った北詰から阪神高速の下(難波橋と天神橋のあいだ)あたりまで通じているため、朝でもゆったりと歩けるのがいい。
なお、今年の地震や台風の影響で木や街灯が倒れており、その影響があってなのか、天神橋から天満橋のあいだにある遊歩道は2018年10月16日現在、夜になっても全く1箇所も街灯が点いていない。そのため、大勢でジョギングしている人々は先頭で誘導している人がヘッドランプを付けているし、僕もここを通るときはスマートフォンの照明アプリケーションで足元を照らしながら歩いている。浮浪者もそれなりにいるので、女性や子供は絶対に夜間は通らないよう、お薦めする(浮浪者自身でもない限り、ここを通らなければ行けない場所など普通の大阪市民にはないはず)。
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2018-10-06 09:10:27
これだけの道路幅があっても路側帯を走ろうとする自転車
先に書いた難波橋と天神橋の中間付近から堂島川沿いの遊歩道を沿道に上がってくると、ちょうど太平橋という橋の跡がある場所に出る。この付近は朝の通勤時間帯や夜の帰宅時間帯も人通りがさほどないところで(天神祭を除く)、比較的だが歩き易いと思う。この写真は東から西を向いている通勤時間帯の様子だが(合成した写真はともかく)、一車線ぶんとしてはかなり車幅が広いので、車も余裕をもって通り過ぎる。しかし、例外は自転車だ。車幅がこれだけあって、車もさほど通らない道なのだが、自転車の多くはそれでも路側帯を通ろうとする。しかも、歩行者の脇をギリギリですり抜けていくのだ。頭がおかしいのだろうか? 何の理由があって、そんな危険な真似をするのか。ひったくりと誤解されても仕方あるまい。
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2018-12-19 20:34:52
ハンズフリーで通話しながら歩いている「ゾンビ」(分析哲学者の暇つぶし議論などどうでもよいが、これこそ「ゾンビ」と言うべきではないか)たちは、どうしてああ自信満々で他人が自分を避けてくれると思い込んで、道を直進したり、周囲に目配せせずに歩くのか。思うのだが、彼らは他人を NPC か何かと勘違いしているのではないか。MMORPG の NPC のように、走っている途中でぶつかっても、プレイヤーや NPC は何もダメージを負わないので、別になんとも思わない。その、「なんとも思わない」という自分にとっての有利さをセカイ(もちろん勝手に当人が思い込んでいるので「セカイ」と敢えて表記している)に押し付けているだけなのかもしれない。もちろん、ゲームに喩えたからといって、これをただちに「ゲーム脳」だと言っても益は少ないだろう。だが、そうであってみれば、われわれ正常な大人も、こういう「ゾンビ」どもを NPC と見做して回避行動を取るべきではなかろうか。僕は、MMORPG でプレイしていても NPC にぶつかるのは嫌だ。人間の大人であれば、そういう感性があって当たり前だろう。
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2018-12-28 09:57:07
路側帯
「路側帯」とは、歩道が設けられていない道路で歩行者が安全に通行できるよう、一定の区画で道路の一部を歩行用に確保する区域のことです。したがって、歩道がある道路に路側帯はなく、路側帯を表す標識や区画用の白線で区切られている場所では歩行者を優先しなくてはなりません。路側帯には、上記の図が表すように三つの種類があって、原則として路側帯の区域に車両を停駐車することは認められていますが、停駐車できる範囲には一定の制限があって、左端の一般的な路側帯では白線を越えて車両を止められるわけですが、必ず歩行者などが通行できるように 75 cm 以上は隙間を空ける必要があります。まぁ、こんなことを守っている人なんて殆どいないと思いますが。
さて、このような基礎はともかく、大前提になっているのは、路側帯はもちろん「公道」であるということです。路側帯に面しているビルや住宅の人の私有物ではないので、誰でも気付いているように、路側帯に公共用途でない私有物を設置すると、本来は色々な法律に違反していることになります。まず、僕が住んでいるマンションの隣にある印刷会社らしき事業所の前に、いつも車が停めてあります。建物の前に一定の敷地はありますが、どう考えても車を1台でも停車できるような広さではないため、車が路側帯を完全に遮断してしまっています。しかも、その外側にすらもう1台の車両を停めていることが多いので、2車線の車両用道路ですら1車線が遮断されているという状況です。こういう状況の場所は、恐らく大阪なら非常にありふれた光景だと思います。また、大阪のような民度の地域だけに限らず、狭い地域に商業施設や住宅が集まっているところであれば日本中のどこであろうと、会社の営業車両や資材、商店の看板や陳列棚(陳列棚を路側帯に出さないと店内に人が入れないような店すらある)、あるいは個人宅でも自転車や植木鉢どころか植木鉢を並べる棚を路側帯に「設置」しているキチガイすらいます。
もちろん、こうしたことは道路交通法違反であるのはもちろん、地域によっては条例で規制しているところもあります。しかし、それらは私有物であるため、何度も注意したとか条例で定められているといった事情がない限りは、警察や行政機関が無断でバイクや看板を撤去することはできません。そして、その最初の手順である「注意」をどこかでやり始めると、実際にはキリがなくなるというのが実情でしょう。はっきり言って、警察はそういう些細なことに労力を使うほど暇ではないはずです。これは、昔は地域住民の自治会や隣組などで話し合っていたことでしたが、行政・治安の一部を実質的に担っていた地域コミュニティは、特に都市部ではとっくに崩壊してしまっているため、個人が相手に注意するという非常に大きなリスクを伴う行為でしか対処できなくなっています。これが、戦後の日本で普及してきた「個人主義」という名前のエゴイズムの結果であり、こういう「個人主義」を世界に一つだけの花などと言って尊重することが通俗的な「自由主義」だったわけです。実際にはほとんどの凡人が画一的に愚かな観念に支配されていただけであり、世界に一つだけどころか、そう思い込んでいる愚かなコピー人間が大量生産されただけというのが戦後の日本の総括と言えるでしょう。
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2018-12-28 21:36:46
最近になって感じることが多くなったように思うのだが、歩道を自転車が走るのは原則として違法であることが周知されていないため、無頓着に歩道を走る自転車がいるのは仕方のないことかもしれないが、それどころか人の傍を当たりそうな距離感で追い越す者が増えたように思う。
そういう危険な追い越しをするのは、フラット・バーのシティサイクルが多い。ああした、ママチャリほど遅くもなければ、ロードレーサーほど車道を駆け抜けられない、中途半端なバイクに乗っている連中というのは、要するに「都会暮らし」という自意識プレイの道具としてバイクをもてあそんでいるだけではないのか。あるいは、前方を歩いている人が急に腕を横に伸ばしたり、リュックを背負っているなら腕を両側へ突き出して背負いなおすといった、誰でもやるような動作をして、ふだんよりも横方向へ腕を伸ばす可能性があるということを全く意に介さず想像もできないわけなので、そもそもが大して自転車に乗った経験もないのに中途半端にスピードが出るシティサイクルに乗っているのではないか。
僕は自転車を免許制にしてもいいと思う。そもそも凡俗が自転車を「車両」と自覚できないのは、金さえ出せば子供でも乗れるからだ。しかし実のところ子供が自転車に乗れる必要があるのかという根本的な問いを真面目に議論した人間などいるのだろうか。もちろん、子供の頃に覚えておけば後からでもすぐに乗れるかもしれない。遠くの学校へ通うのに歩かせるのでは負担が大きい。色々な理由はある。しかし、そもそも自転車で通わなくてはいけない場所に行かなければ学べないという環境を放置していいのかという問題は残るし、子供の頃に覚えておいたほうがいいのは、実は乗り方だけではなく転倒する体験によって怖さも学ぶべきだからなのだが、その体験でもちろん死ぬ子供もいる。僕も、雨の日に路肩の段差を斜めに越えて歩道へ上がろうとして滑って転倒したり、側溝に前輪のタイヤが嵌ったときに衝撃でタイヤがパンクして転倒したり、24号大阪東大阪線を走っていたときにクソ零細の営業車両に幅寄せされたため急ブレーキをかけて歩道側へわざと転倒した。多くのバイク乗りは、こういう体験を経て自転車に乗るリスクというものを承知しているのであり、それゆえ自転車で街中を走るという行為を謙虚に考えなくては、簡単に死ぬかもしれないと知っているのだ。恐らく、シティバイクに乗って颯爽と軽やかに都会を駆け抜けるイケメンなどと自意識に嵌っている田舎出身のサラリーマンなど、別に自転車に乗らなくてもクソみたいな零細企業の会議に遅れたとて日本の GDP や技術力の向上や一般歳入に殆ど影響など及ぼさないだろう。
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2019-01-18 10:38:56
ここ数年ほどのあいだで頻繁に見かけるようになったのが、自転車の「点滅(明滅)ライト」だ。調べればすぐにわかる通り、この点滅ライトをどれだけ点けていようと、「前照灯」の代わりにはならず、点滅ライトだけしか点灯せずに走行している自転車は道路交通法違反である。これに加えて、点滅ランプを実際に当てられている側からすれば、この点滅ランプはたいてい前方に向かって当てられており、対向の歩行者から見て非常にまぶしい。ちょうど車の前照灯で言う「ハイビーム」となっており、しかも車の前照灯のようにロービームとの切り替え機能など自転車にはないため、すれ違う歩行者に向かって点滅するランプを当て続けていることに、自転車に乗っている人間は気づいていないのである。しかし、前方がこれだけまぶしいと前方のどこに自転車がいるのか歩行者からは見えなくなり、皮肉にも逆に危険である。自転車で走る人々は、いちどでもいいから自分でこの点滅ランプを当てられてみるとよいだろう。このような欠陥商品(僕は、この点滅ランプは自転車で走行するために全く何の必要性もなく、走行車や対向者の安全にとって全く寄与しないと思う。こんな商品を許可した公的機関は、おそらく普段は自転車などに乗らず、ベンツにでも乗ってノーパンしゃぶしゃぶにでも通っている腑抜け役人に違いない)を使い続けている愚かな自転車の運転者は、即刻このようなものを捨てて、まともな前照灯に買い替えて角度を再調整するべきであるし、自転車のショップがこんな商品を扱うのは恥と知るべきである。
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2019-01-25 22:30:14
荷物を持つ女性
これは女性に多いのだが、荷物を持って歩くときに腕を横に広げて二の腕にぶら下げるのと同時に、反対側の腕も横へ広げるという不思議な姿勢をとる。僕は内心で「やじろべえ歩き」と呼んでいるのだが、おおむね二人分の路幅を占有するので、はっきり言って迷惑な歩き方には違いない。似たようなパターンとして、これは女性に限ったことではないが、犬を連れて散歩したり幼児を連れて散歩している親なども挙げられよう。それらは、自分たちが狭い道路を「愛」だの何のという思い上がった感情で無礼にも占有している事実に思い至らない事例だが、そのような名目などなくても、たいていの凡俗は自分勝手な事情だけでものごとを判断するので、これらの事例において相手がなんらかの特別に配慮するべき事情を抱えているかどうかは、相手が弱者であるかどうかという基準で判断した方がいいだろう。幼児を連れて歩く母親に迷惑を感じてよいのは、二人くらいしか通れない狭い道で完全に路上を占拠しているときだけであり、それなりに広い道では大目に見るのが健全な大人の態度というものだろう。あるいは、介助犬を連れた障害者についても、文句を言う筋合いのものではなく、こちらが率先して安全な経路を相手に確保するのが正しい人間の所作というものである。こんな判断基準の是非について、日本人もパプア・ニューギニア人も左翼もネトウヨも関係ない。こうした基準で判断できるかどうかは、人間のクズであるかどうかの違いでしかないのだ。
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2019-02-20 09:41:05
横断歩道を塞ぐ馬鹿ども
朝っぱらから、横断歩道を塞いでの立ち話という光景を何度か目撃した。「俺たちってば、朝から日経的にクールなビジネスマンしてるじゃん?」といった自意識プレイなんだろうけど(関東の田舎者の方言で喋らせると最適だ)、本町のクズ会社で働く三下風情の自意識など1円の経済効果もない。君らが月に400時間ほど残業しようと朝の6時から同じ程度のロクでもない会社の人間と商談していようと、GAFA で働く手紙配達人の給料を賄う程度の価値もないだろう。
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2019-04-08 22:14:33
自転車の前照灯は進路指示にもなっている
自転車には夜間の照明を点灯させるようにお願いしたい。そして前にも書いたように、この前照灯を点けないのは論外だが、最近は点滅するランプを前照灯の代わりに点けている人もいて、非常に迷惑だし、そもそも前照灯を点ける意味が分かっていないのだろう。上の図にあるとおり、前照灯というのは遠くからやってくる対向の自転車が、自分の右へ行こうとしているのか左へ行こうとしているのか、方向指示の代わりになっているのだ。まさか自分に向かって直進してくるキチガイはいないと思っても、自転車がどちらへ避けようとしているのか分からなければ、歩行者も避ける方向を決められないのである。そして、例の点滅するランプは指向性が分かり難いので、どちらの進路へ進もうとしているのか推測できない。前照灯を点けなかったり、点滅ランプなどという役立たずの部品を使っているだけでは、相手も危険にさらすし、結局は自分自身をも危険にさらしているのである。
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2019-07-04 09:46:51
車両→歩行者→車両と、自分勝手に法的身分を切り替えられると思ってるやつ
交差点のある国や地域なら、誰でも見かけたことはあると思う。特に日本のように、自転車が「車両」なのか「歩行者」なのか、法的には明快でも運用での見過ごしがあまりにも多すぎて行政が全く指導を怠っているうちに、自転車に乗っている人間の大半も無自覚となって自分勝手な都合で乗り回すようになった後進国では、上の図に表したように、車道を「車両」として飛ばしてきた自転車が、赤信号で歩道側へ乗り上げて(車両と歩行者が同じ進路方向でも、「分離式」として、歩道だけ独立して信号が切り替わる交差点もある)「歩行者」として横断歩道を渡り、その後で再び車道へ出て「車両」として車道を走るという行為が横行している。
もちろん、「自転車歩行者道」の標識がある歩道は自転車も走行できるが、60km でロードレーサが飛ばしていいわけはないし、子供を載せているていどのことで歩行者を蹴散らすような養育者通行特権など地球上に存在しない(子供を育てることなど、自分たちが考えているほど《尊い》行為ではない。その何割かは自業自得で死ぬし、犯罪者にもなるし、遺伝学の調査が示すように過半数の家は百年たらずのうちに子孫がいなくなって家系は途絶えるのである)。また、「運転者が13歳未満または70歳以上の場合」にも歩道を走行できるが、これは明らかに自転車を操縦する手腕が欠けていたり判断力がないと考えられているからだ。その他、車道に違法駐車している車がたくさんあって、自転車専用路を走れないとか、幅寄せされたので緊急避難的に歩道へ入るとか(実際、大阪ではたいてい故意だが、大型車は隣を走っている自転車に気づかずに幅寄せと同じ結果になる走り方をすることもある)、仕方ない事情はある。これらはサバイバルとして当然の行動だが、既に日本では緊急避難的な行動であるという点が忘れられたり、交通安全教育でも殆ど教えられないという事情から、自転車の適法な運用というものについては、学校で教わったら後は終わりという人が多い(もちろん、行政や教習所がやる交通安全教育はドライバーのためのものであって、歩行や自転車の通行について教育などしない)。要するに、こういう自転車の走り方をするというのも、善意に解釈すれば(つまり自発的に交通ルールを学ぶという意志がなくても非難はされないという想定のもとでは)行政の怠慢による被害者なのだ。
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2019-07-30 10:12:48
四つ橋筋をどう安全に渡るか
四つ橋筋(MS-IME は「四ツ橋」としか変換しないのが面倒だ)をどうやって安全に横断するか。これは、大阪で働いている多くの社会人が気にしようと思えば気になる話題だろう。とりわけ、僕のように堂島で働いている人たちの中には、四つ橋筋を通勤や退勤の際に渡ろうとして危険な目に遭った人もいるだろうと思うからだ。まず、堂島周辺の地図を上記に紹介してある。堂島近辺で働く人の中には、僕のように天満橋方面から出勤する人も多いと思う。だいたいは、地図で下の方角から上の方角へ向かって歩いたり自転車に乗ってくるだろう。では、四つ橋までやってきて、どこの横断歩道を渡るのが安全だろうか。地図で示したように、僕の経験から言うと肥後橋の南詰が最も安全だ。北詰も安全だと言ってよいが、たまに芸能関係者か朝日新聞の人を乗せている事情などで強引に右折してフェスティバル・タワーに行こうとするタクシーがあるため、注意したい。それに比べると、肥後橋の南詰はこのあたりでは最も大規模な交差点であるにも関わらず、それゆえにか車と歩行者の信号が分離していて、横断歩道を渡っている歩行者に割り込んで左折・右折する車が突っ込んでくる(大阪のドライバーにとって、このような素行は《挨拶》であるらしい)ような、これから指摘するが渡辺橋南詰のような危険はない。そして肥後橋の横断歩道よりも危険なのは渡辺橋の交差点なのだが、実は渡辺橋は北詰の西側に交番があるのだ。これも大阪に始めてくる人は知っておいていいと思うが、大阪では交番が前にあろうと大阪府警の正面玄関前であろうと、頻繁に接触事故や信号無視や死亡事故まで起きる。日本人が中国人らを馬鹿にする資格などない、遵法意識や「国家」というスケールでの規範意識に欠けた民族であることは歴史が証明しているわけだが(アホは大河ドラマや歴史雑誌などを観たり読んで楽しがっていればいいだけだが、内乱の頻度など、国の規模を単位として考えたら中国や南米の比ではなく、同族で大昔から殺し合っている民族だ。明治時代以降に、伝統だの国体だのという作り話が流行して、錯覚をもとにした「民族右翼」などという概念がはびこったのも、そういう過去があるからだろう。しかし、もちろんこれは日本だけの欠陥ではない。そもそも「国民国家」という概念そのものが近代の作り話にすぎないのである)、特に大阪は後進国なみの人間が自称「日本人」に多いため、こうしてサバイバルという大袈裟にも思える方針で街路の歩行を語らなくてはならないのである。何度も強調しておくが、死んでしまえば終わりである。大阪で車や自転車に乗っているクソ人間(もちろん、彼らは単なる凡庸な一般人であり、犯罪者のような悪意はないが愚かなのだ)に、故意ではなくとも危害を加えられるわけにはいかない。バカが刑務所に入ろうと、自分の愚かさを悔いて自殺しようと、そんなことはどうでもよいのだ。われわれが死んでしまっては、取り返しなど絶対につかないのである。そういうわけで、或るプランに少しでもリスクがあり、他に選べる良いプランがあれば選ぶべきである。
というわけで、まず渡辺橋北詰について指摘する。先に述べたとおり、交番が目の前にあっても、右折して阪神高速へ入る車や、右折して堂島浜通(という名前はあるらしいが、細い道なので殆ど知られていない。サントリー本社の脇やダイビルの前を通る道である)へ入る車が強引に横断歩道へ侵入してくる。また、西側からの一方通行である堂島浜通で信号待ちをしている車も、すぐ隣に警察官が立っていようと強引に左折して四つ橋筋へ入ろうとするので、渡辺橋北詰で四つ橋筋を横断するときは交差点の南側の横断歩道を利用するべきだ(四つ橋筋は南から北への一方通行なので、南の横断歩道を渡れば、あからさまに信号無視する者がいない限りは横断歩道へ侵入できる車は緊急車両以外にはない)。そして、このあたりで最も危険なのが渡辺橋南詰の北側にある横断歩道である。フェスティバル・タワーが四つ橋筋を挟んで並ぶ南側の横断歩道は、渡辺橋北詰の南側にある横断歩道と同じく、緊急車両以外は横断歩道へ侵入できる車はないため、安全に渡れる筈である。しかし、北側の横断歩道は比較にならないくらい危険であり、実際に堂島周辺で働く人の大半は、この横断歩道を渡ろうとしない。僕が朝の出勤時に見ている限りでは、この横断歩道を渡るのは、すぐに渡れるジョギングのランナーか、観光客くらいのものであり、勤め人が渡るのを見かけるのはまれである。なぜなら、彼らはこの横断歩道が非常に危険であることをよく知っているからだ。まず、この横断歩道が周辺と違って桁違いに危険である理由は、土佐堀通を西から左折して四つ橋筋に入ってくる車が、殆ど一旦停止しないで左折してくるからである。さきほど僕が見かけた事例では、大阪市営の公共機関であるバスすら一旦停止しないで左折しており、何かの超自然的な魔力でも発生しているかのような交差点である。したがって、ここの横断歩道を使うのは、はっきり言って大阪の人間として言えば自殺行為に他ならない。わずかな時間は余計にかかるとしても、せめて渡辺橋北詰の南側にある横断歩道を利用するか、あるいはフェスティバル・タワーに通じる地下道を使って(かなり遠回りになるが)四つ橋筋を越える方が、圧倒的に安全である。
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2020-03-18 10:20:53
「ANA クラウンプラザホテル大阪」というホテルのバス発着場が面している道路は、向かい側が「中之島ガーデンブリッジ」という広い橋を降りてきた踊り場になっていて、ホテル側にしか歩道がないため、橋を降りた踊り場からどう進むにせよ、いったんは歩道に渡る人が大半である。もちろん、橋の側から車道の端を歩く人がいないわけでもないが、端的に言って危険である。ということで、上記のような場所で歩道側に渡ろうと車道に出るのだが、赤で示したように自転車が頻繁に逆走してくるため(ここは一方通行)、左(写真では下)から来る車はもちろん、右から逆走してくる自転車にも気を付けないと、車道へ降りた際に自転車と衝突する心配がある。そして、もちろん自転車に乗っている人間の大半は、われわれのような人間を除けば、サメやマグロと同じで《一旦停止》すると死ぬらしいので、止まるという行動を生理的に選択したり実行できない生物として鮮やかに進化したようだから、人倫に基づく行動は期待すべくもない(もちろん、だからといって「人ではない」と差別したいわけではない。侮蔑しているだけだ)。
このような場合、リスク・マネジメントの原則としては予測不能な事態を可能な限り避けることが望ましい。いつでも右側に注意して歩くことができるとは限らないという弱さ、つまりうっかり忘れるという脆弱性がヒトにはある。よって、そういう脆弱性が危殆した(つまり、右側から自転車が来ることに注意しなくてはいけないということを実際に忘れる)としても、危険な行為をする自転車生命体の脅威にさらされないような事態とするには、最も合理的な選択肢は「その場所を通行しない」ということになる。通勤するのに中之島ガーデンブリッジを通る必然性はない。他にも無数の通勤経路があるのだから、無理にそこを通らなければいけない事情でもない限りは、中之島ガーデンブリッジという橋(を渡る箇所)が大阪に存在しないものとして生活するのが最も正しい。もちろん、僕は橋や橋の設計や橋の建設事業を非難しているわけではない。
このような事例では、他に選択の余地が数多くある。最初からどこかでホテルの歩道側を歩いて堂島へ行けるよう、堂島周辺のビジネス街に不慣れな人には分かり難い話で恐縮だが、東からやってきたときに大江橋を渡っておくとか、そもそも渡辺橋まで堂島川を渡らないコースをとるとか、あるいは余裕があれば京阪中之島線で渡辺橋駅まで乗れば、この場所で起きるリスクは実質的にリスクがゼロとなる。東北の震災があって以降、特に経済や医療で訳知り顔に「ゼロ・リスクはありえない」などと、実は《非科学的な》ことを公言して「理系」ヅラしている馬鹿が大量に増えているが、企業の情報セキュリティ部長として現実のリスク・マネジメントに携わりながら、確率・統計の哲学を学んできた人間からすれば、こういう馬鹿の言っていることも逆の極論にすぎないのである。慎重かつ合理的に選択できる条件を揃えて選択すれば、暗号化のアルゴリズムが実質的に「解読不能」だと言いうる強度を語れるのと同じ厳密さで、リスクについても「ゼロ」と評価できる状況にはできる。そして、ここで紹介しているような事例では、この場所で自転車に衝突されるリスクは簡単にゼロにできるのだ。
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