歩行論

河本孝之(Takayuki Kawamoto)

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First appeared: 2017-05-24 17:02:09.

はじめに

ここでは「歩行論」と名づけたカテゴリーを設けて、歩行に関わる様々なテーマを取り上げます。まず、以下に趣旨を説明しておきます。

多くの人々は、通園や通学を始める頃から、自宅を出て定期的にどこかへ向かうという生活を何十年と送っています。このような習慣や風習は、これまで歴史学、人類学、民俗学、社会学、交通科学などによって研究されてきました。また、ヒトという生き物が歩いたり走る際の生理的な仕組みは、臨床運動学や体育学やリハビリテーション医学や身体運動学といった分野のテーマでもあります。また近年では、ダイエットやトレーニングの方法としてウォーキングが話題になる機会も増えており、歩くという行為に学問上の興味だけでなく、生活スタイルに取り入れたい活動の一つとして価値を認める人も増えていることでしょう。このようなわけで、歩行には多くの人が関心をもつようになりましたが、たいていはトレーニングなり健康増進という目的があり、それ以外の脈絡で関心をもつ方はまだ少ないようです。

例えば、歩行に関する法律の議論は大して多くありません。そして、歩行という行為が道路交通法によって詳しく規定はされていない(そして、それはそれで構いません。法律で歩き方までいちいち決める方がおかしい)ことから、基本的なことまで蔑ろにされているように思われます。その代表例が、「車は左、人は右」という標語の濫用であり、この標語を、歩道で人が右側通行すべき理由に使っている人が一定数でいるようです(車道と区分された「路側帯」である歩道では、右側を歩いても左側を歩いても構いません)。恐らく小学校から高等学校までの教育関係者を誤解させる致命的な文書がどこかにあるのか、あるいは道路交通法の第十条を正確に読めない学校教員がそれほど多いのか(それはそれで、教員の識字率や理解力という皮肉なテーマにもなりますが)というテーマになります。このように、法律や法律の運用あるいは実社会で通用する解釈という話題も、歩行や通行というテーマの中で重要な論点になりえます。

そして数年前には、特定の団体が意図的にミスリードして話題づくりをしたと見做されている「江戸しぐさ」においても、「傘かしげ」として対面通行時に傘を外側へ傾けて互いに濡れないように配慮することが日本人の様式美や道徳性の表れだったなどと言われたりしました。もちろん「傘かしげ」そのものは何の証拠もない出鱈目でしかありませんし、このていどのことは江戸だろうと賢島(三重)だろうと天草(長崎)だろうと、その場で相手に気を使う性質の人たちがそれぞれやっていたことにすぎません。江戸という特定の地域で励行されていた証拠などかけらも無く、しょせんは何かの理由で他人に優越したいという子供じみた自意識を補完するために江戸っ子を自称する人々が妄想した作り事でしかないと言えます。いずれにせよ、通行について日本人が何らかの気を使っていたりマナーや様式を語る用意があり、多くの人たちが「江戸しぐさ」の話題に呼応できたという社会学的な分析を要する事態があったという事実は、このように馬鹿げた事例からでも分かります。

更にはスマートフォンを眺めながら歩く「歩きスマホ」や、イヤホンで音楽や英会話の教材を聴きながら歩く人たちの危険性や無礼な態度が頻繁に話題となっていますし、実際に歩行中に駅のプラットフォームから転落したり車に跳ねられたり、あるいは歩きスマホを注意した人物と当人との口論が起きるといった事故や事件や諍いが増えているようです(1)

(1)それから、これは僕が Twitter で指摘したことですが、Pokemon Go のような屋外を移動して楽しむゲームの流行と、戦後からこのかた日本人が誤解している「個人主義とエゴの混同」によって、ゲームをプレイしている自分の行為が往来での公共マナーに優先して、何か尊い行為であるかのように思い上がった人々が増殖するという効果を生じてしまっています。かような凡人たちは、凡人であるがゆえに何の取り柄もなく、せいぜい安っぽい「愛」やら古いゲームへのノスタルジーに浸るくらいしかやることがないため、プライベートな行為が彼らにとっての最後の拠り所として神聖不可侵な価値をもち、往来でプライベートな行為に没頭しても非難されるいわれはないとばかりに(しかも、それを憲法が保障しているかのごとく)振舞えることが「民主的」な国家の特徴なのだと思い込んでいるかのようです。僕はもちろん、このように堅い言葉で冷静かつ中立にものごとを解釈しているかのようでいて、実は皮肉を尽くした文章表現で人々を冷笑するていどのことはいくらでもやっていますが、彼らの愚かさを即座に否定して、これまた凡人がよく口にするお手軽な保守反動の感想を述べるつもりはありません。このような人たちが一定数でいることは、社会においてはありふれた現象と見做してシステム構築や理論化の前提としておくべきです。

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