Scribble at 2024-04-27 09:49:34 Last modified: 2024-04-27 17:41:49

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カール・シャピロ、ハル・ヴァリアン『情報経済の鉄則-ネットワーク型経済を生き抜くための戦略ガイド』(日経BPクラシックス、2018)

『テクノロジーの世界経済史』と同様に、以前から書店で気になっていたので、そろそろ読むことにした。本書は、どちらかと言えば「敵情視察」というか相手の手の内を知るための読書という気もするが、ともかく情報セキュリティやパーソナル・データの適正な保護と活用について、一定の価値を置いたり、現実に企業で一定の役割を負っている者としては、是非はともかくとして参考にしておきたい考え方だ。

本書は、ネット・ベンチャーや IT ベンチャーにとっての指南書みたいに宣伝されているが、逆に言えば著者は Google の「チーフ・エコノミスト」であるから、このクズみたいな広告モデルを学術的・理論的に正当化している元凶とも言える

著者を典型とするリバタリアン経済学者、つまり無制限の自由を制度的に確立しようとするファシストあるいは隠れ社会主義者は、現実のではなく観念的な「自由」を達成するよう他人や社会にも強制しようとするために、自由といいながら巨大な官僚性を必要とする国家社会主義者となる。リバタリアンの「デザイン思考」が中国共産党の官僚と似ているのは、それが理由だ。

人の、つまり誰のであれ、財産や生命や権利を軽視して、発展や自由という観念の成就を優先する紙芝居的な社会思想は、情報セキュリティや個人情報の保護を始めとする色々な現実の具体的な規制を、常に「自分たちが発展した後から、IR/PR 対策として応じればいいだけの制度的な必要悪」と見なす傾向にあり(それゆえ、ここから「トリクルダウン経済学」という経済的貴族主義が派生する)、それゆえ GAFA を見れば分かるように、詐欺広告への対応にしても常に後追いで渋々の対応になる。リバタリアンというのは、自分たちが成功した後に成功条件をスポイルしようとする梯子外しで、既得権益を守ろうとするわけで、実は自由主義者でもなんでもない。自民党議員のような田舎代議士とマインド・セットは同じである。そして、先日の Meta の発表でも顰蹙を買ったように、最後は「社会のせいだ」と開き直る。まるで詐欺師が自分たちのプラットフォームを利用して出稿し数多くの犯罪を実行するのは、地震と同じく避けられないことであると言わんばかりである。

こういう連中の言う事は、アイビー・リーグの教授だろうと Google で何千万円の給料をもらっていようと、やはり距離を置いて読まなくてはいけない。よく「虚心坦懐」などと言うし、それゆえに僕は本書をわざわざ3,300円も出して買ってまで読もうとするのだが、是々非々の評価というだけでは済まされないところがある。それに、はっきり言えば凡人の虚心坦懐なんて、簡単に相手のレトリックに騙されてしまうのである。よって、やはりなにがしかの critical reading という習慣は必要であって、読もうとする目的や着目する観点もはっきりさせずに「虚心坦懐」に読むなどという芸当を凡人ができるわけないのである。凡人の「虚心坦懐」なんて、実際のところはアホの子の読書でしかない。

こうしてみると、リバタリアンのような口先の自由を弄び、その実は社会に市場という巨大なシステムを強制しようとする隠れ社会主義者のメンタリリティというものは、宗教的原理主義がもつ観念論(理神論もそう)が、その源流ではないかと思える。

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