2017年08月31日09時05分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-08-31 09:05:28

Twitter では素数日についてツイートする人がいて、特に言うことなかったら無理に書かなきゃいいのにと思う。昨日は西暦2017年8月30日であり、皇紀2677年7月10日であり、ユリウス日で2457996.4924であり、法然誕生から885年である。基準の採り方で、こんなものは幾らでも「ちょうど」になったり「半端」になる。何か自然に物理的な特性として単位になりうる数量があるどうかは、いまだにわかっていない。プランク長を措定する人もいるだろう。他には、causal sets の支持者として、宇宙を本質的には離散的だと考えて別の尺度を持ち出す人がいるかもしれない。たぶん、こうした発想は全て、この宇宙が一つの原因から始まったと考えているからだろう。しかし、それにもさほど強い根拠がないと言える。いわゆるビッグバンは認めてよいとしても、その単一の現象が起きるための条件が幾つかあったとすれば、それら幾つかの条件がビッグバンの他に何か副作用的な現象を先か後に惹き起こしていたとしても論理的には矛盾しないし、たぶん物理的にも明白な問題はないかもしれない。

僕は、この「ちょうど」というフレーズが昔から大嫌いで、とりわけ合理的な根拠もなく、ヒトの指が片手で5本、両手で10本あるくらいの偶然から言っているにすぎないような「ちょうど」という数え方には強い抵抗があった。「今年で、ちょうど40歳です」。それがどうしたのか。もちろん、一律に馬鹿げていると言っているわけではない。「ちょうど40歳」から介護保険を給料から差し引かれるのは、少なくとも現代の日本で生活している人間として無視し難い事実としての基準だ。これを無視して哲学者ぶった態度をとっていても、それは単に社会保険制度に関する理解や収入のやりくりを、給料の使い方を任せている人と同居しているなら、親やパートナーに押し付けているだけのことでしかない。それを分かった上で無視するなら一つの(さほど人としては褒められない)見識だと思うが、無頓着なままでいるのが哲学者の「超然」だと思っているなら、それは単に<超越論的に愚か>というだけのことだ。

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