2017年06月10日23時04分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-06-10 23:04:46

REVIEW A LONG WAY HOME 1981 TIMOTHY HUTTON

僕はティモシー・ハットンが主演した『ロングウェイ・ホーム』(A Long Way Home)という映画が好きで、確か高校の頃に見てから、サウンドトラック(当時は LP レコード)を買ったりしたものだった。当サイトでも、そのうちコンテンツとして公開しようと準備してもいる。そういう準備をしているときに、"a long way home" というフレーズが使われている映画を他に二つ見つけた。一つは、ジム・キャリーが出てくる作品で、もう一つはニコール・キッドマンが出てくる作品だ。

その中で、80年代初頭のテレビ映画としては高い視聴率を得たようだが、30年も前の作品とあっては、ほぼ1990年代以前の情報が弱いとされているウェブのコンテンツに評論を見つけるのは難しい。いま起きていることをリアルタイムに取り上げて簡単なコメントを書くくらいなら誰でもできるが、30年前の作品について書くためには、30年前にそれなりの年齢だった人物が思い出す他にないからだ。ビデオや DVD として発売され続けていれば若者の一部が鑑賞して何か書くかもしれないが、コンシューマ向けの商品としても細々と売られているだけだし、YouTube のようなサイトでも数多くアップロードされているわけでもない(もちろん著作権法違反ではある)。

このような次第で、この作品のレビューを読めるのは有り難い・・・のだが、それはまともな人間が自分で実際に観た上で文章を書いていればこそだ。上記にリンクしてあるページは、いずれ消えるかもしれないので、幾つか証拠をコピペしておくと、まずタイトルが "REVIEW A LONG WAY HOME 1981 TIMOTHY HUTTON" となっている。もちろん、1981年にティモシー・ハットンに "a long way home" とくれば、ディモシー・ハットンが主演した『ロングウェイ・ホーム』のことでしかありえない。しかし、そのすぐ下に貼り付けられている画像は、"A Long Way Gone" という無関係な作品のカバーだ。更に冒頭の文章では、"First it was a media sensation. Then it became the #1 international bestseller A Long Way Home. Now its Lion, the major motion picture starring Dev Patel, Nicole Kidman, and Rooney Mara—nominated for six Academy Awards!" と書いており、これは明らかにニコール・キッドマンが出演した2016年の映画(映画のタイトルは "Lion" であり、原作の小説が Saroo Brierley による "A Long Way Home" だった)のことだ。

どちらの作品であれ、実際に映画を観た人間が、こんな間違いをするわけがない。ティモシー・ハットンの出ている作品にニコール・キッドマンは出ていないし、その逆もまた同じだ。どうしてこんな混乱が起きるのかと言えば、このブログ記事が Amazon や IMDb のようなサイトに掲載されている "a long way home" というフレーズにヒットする作品のテキストをスクレイピングして組み合わせただけの自動生成だからだ。確実は証拠はないものの、例えばこのブログのトップページに行くと、化粧品らしきものをこれでもかと紹介するスパム記事が山のように投稿されている。もちろん、このブログが何者かにクラックされて勝手にスパム記事を連投されてしまっているという可能性もあるが、サイドバーでお分かりのように、1ヶ月に700本も記事を投稿されていて何も気づかない管理者に同情の余地などなかろう。僕はこのサイトで何度も言っているが、ウェブサイトだろうとホスティング・サービスで借りているブログだろうと、てめーの運用している場所を天下の往来に放置している人間が、他人様からバカ扱いされることを防ぐことなどできないし、誰かに守ってもらう権利もないのである。

ということで、そういう人間であれ、あるいは最初からスパムを投稿する目的で自動生成の記事を大量に作っている人間であれ(どちらにせよバカであることに変わりはないが)、このような連中に何らかの利益をもらたしたりトラフィックを使うのは人類全体にとっての無駄であり無意味であろう。いっとき、バブルの頃に栗本慎一郎がバタイユの議論や人類学の事例を「蕩尽理論」と称して引き合いにし、無駄にも文明としての価値があるといったわけだが、僕に言わせれば、それは「価値のある無駄」だけに着目するからそのような結果論が言えるのであって、栄枯盛衰の繰り返し中で他の種族や国家や文化に蹂躙されて消失したものの方が多いかもしれないという疑問に答えない限りは、何の説得力もない。

そして、僕は説得力ある議論を見た試しがない。したがって、「無駄にも一定の価値がある」という理由で、昨今の通俗文化において流行している「多様性」という名の単なる文化相対主義や多元主義の焼き直しに、何らかの社会科学や社会哲学における正当性があるとは思えないのである。寧ろ、このような犯罪者予備軍(スパム業者というのは、なんだかんだ言っても特定電子メール法違反だけでなく、名簿を不正に入手するとか、ウイルスのばら撒きを代行するといった違法行為もやるものだ)無能がやっていることをいちいち保存する社会的なコストの方が人類にとって無駄な負担となっているのではないか。無論、何が無駄で誰が無能なのかを国家や一部の人間が決めるのは恐ろしい仕組みであることに変わりは無く、僕もそういうものには断固として抵抗する。しかし、どこかにそれを決める権威というものがあるという擬制を社会システムとして維持しない限り、「世界で一つだけの花」をいちいち丁寧に社会全体のコストによって維持し保護するというのは、結局は人類全体を衰退させる元になると思う。

よって、回りくどいようだが、このようなブログに対しては、機会と手立てとやる気と暇があれば、ホスティングの運営会社に通報して、この宇宙から消し去るべきである。

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