2017年04月12日12時29分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-04-12 12:55:00

日本の大学は教育内容としても事業体の経営としても危ないと言ってる人が多いし、とりわけ社会学や教育学の教員には Twitter で騒いでいる人がたくさんいるのだけど、社会科学を大学で講じる者が何を言うのかという気がする。どういう意味の「危機」であろうと、それは日本に大学が多すぎたことが原因に決まってるだろう。そもそも高等教育は高等な素養を身につけた人間が受けるべきであって、知識や知恵の共有に素養はいらないということを、学問に携わる素養ついても当てはまるかのように濫用した、チンピラ民主主義者どもの「底上げ通俗化」を教育政策として押し進めた結果が現状の日本なのだ。

啓蒙というのは、或る分野の概念や議論を幼稚な小説仕立てや拙劣な対話調で説明したり、萌えイラストや下らないレベルの模式図で描くことなどではなく、福祉政策として最低限度の保障をされた中卒までの教育を真面目に修めた人であれば理解できるように説明することで事足りるし、そうあるべきだ。すると、国政や世の中の仕組み全般を理解して自分自身の意志を決めるために必要な知識や情報を身に付けることは(形式的には)全ての国民に保障されるので、高等教育が何らかの自意識やブランドとして必要なバカはともかく、実質だけを言えば大学へ行かなくても世の中はマネジメントできるし物事の道理や是非を理解して判断できる。いっときの経済的な繁栄を前提に、必要以上の若者が高校や大学へ進学することが無条件に良いなどという狂った価値観を「民主的」などと思い込むバカが官僚やマスコミ・出版の業界に数多くいたことによって、われわれは狂った教育政策や人事・採用政策を世の中全体に浸透させてしまい、不必要なまでの教育費を使うのが当たり前のような生活スタイルにしてしまった。現代の日本において大学教員をしていられる圧倒的多数の凡人教員は、彼ら余計な教育費を浪費している人々のおかげで食べているようなものだ。

結局、学術の担い手の一部である学術研究者自身が学問の厳しさを舐めてるから、いまごろになって大学の質が低下するなどと騒ぐはめになるのだろう。食べていくための方便として通俗化を「民主化」と詐称して受け入れ続けたら、質の低下は避けられない。ただ、考古学で幾つかの事例を知ったのだが、原田大六さんのように学術活動に過剰な厳格さを求めると(とりわけ分業しかありえないタスクにおいては)難しくなるのも事実だ。彼のように、どれほど九州大の考古学教員が無能で権威や面子しか頭にない俗物だったにせよ、もともと大多数の人間は大学教員とは言え「凡人」なのである。しょせんは有限の能力しかない脆弱な有機体なのであるし、形式的な条件を設定しても(目指すのはともかく現実には)無理がある。

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