2017年03月28日09時45分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-28 09:45:52

テレビに視聴者がうんざりしている真の理由

ストーリーをいきなりぶった切ってコマーシャルの後に少し遡ったところから続けるという手法は、もちろん昔から一部のバラエティ番組では定番の映像編集なり演出方法だったわけで、何もいまに始まったものでもないし、これに文句を言う人は僕も含めて昔からいたんだよね。番組の開始時刻だけでなく終了時刻が一定じゃないという点も、それこそプロ野球の中継なんかあれば後の番組がいつ始まるのか分からなくなって、ビデオの予約が台無しになることも多々あった(僕が高校生の頃にビデオデッキが普及した)。開始時刻が「ちょうど何時」じゃないというのも、いまに始まったことではない。また、特番と称してだらだらとクイズやバラエティを2時間も3時間も放送するという話にしても、ドリフターズやら吉本芸人の出てくる長時間番組は昔からたくさんあった。確かに、昼のワイドショーは昔よりも長時間になったが、どのみち昼間のテレビ番組は埋め草なので、改善しても大して何も変わらない。そして、何の才能で「タレント」と称しているのか不明なネーちゃんやオカマ、あるいは芸人の内輪話がえんえんと繰り広げられるトーク番組と称するものが昨今の大流行だが、実は久米宏の『ニュースステーション』も大して違いはないということに気づけば、結論は同じだろう。

要するに、テレビ番組の殆どは暇潰していどの価値しかない。ドラマやドキュメンタリーに情報なり作品として一定の価値があるのは認めるが、それでも人がものを考えて生きてゆくためにテレビ番組は必須のものではありえないのだから、結局はあってもなくてもどうでもよいものという他はない。あれやこれやと理由を並べて「だからテレビは嫌われる」と書いているが、そんなことは昔からみんな知っていて不平や不満を口にしていたのだ。それでも凡人はテレビを観るのであって、観ないと決めて粛々と生活している者は、既にそれぞれ結果を出しているのである(もちろん、テレビを観ていないていどの消極的な理由で何かに「成功」するなどとは思わない。テレビを観なくても無駄な人生を過ごすチャンスはいくらでもある)。

したがって、こんな論評自体が的を外している。そういう点を是正させてテレビを何かの意味で「復権」させるという発想そのものが馬鹿げているのだ。

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