2017年02月23日09時09分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-23 09:09:58

オルト・ライト(オルタナ右翼)の寵児、「小児性愛OK」発言で転落

跳ねっ返りの若造が威勢のいい御託を口にするのは、古来から人間社会の日常茶飯事である。その内容が旧体制への不満であり、何かを変えたいという感情を伴っていることは当人にとっての意味があるのだけれど、その向き先であるイデオロギーとして我々が見知っているあれこれのお題目や「ロジック」など、実は彼らにとって大した意味はない。それゆえ、字面が人種差別や性差別として現れていても、彼らにとって意味があるのは何か鬱屈した気分とそれに対して抵抗したいという激情なので、周りから発言の字面や思想についてあれこれ言われて反省したり謝罪の言葉を(それこそ字面だけで)口にしたところで、何の解決にもなっていない。

インターネット接続が普及し始めた頃、もう10年以上は前になるが、やはり似たような反動思想の若者による、いわば厨二病的な「ゲンセツ」が取り沙汰され、"young conservatives" と呼ばれていた。日本では殆ど語られないが、Dinesh D'Souza のような典型的とも言える保守的キリスト教徒移民の政治コメンテーターですら、"Letters to a Young Conservative" などという本を書いて、本来の保守思想とはそういうものではないと説教するほどだったわけだ。これを逆に言えば、いつの時代も若者の「ゲンセツ」なるものは既存の(大人の)イデオロギーなり思想への違和感を伴って発信されるのでもあろう。もちろん、それは或る意味では正当なことであり、寧ろ僕は内容の是非はともかくとして、後の世代がやることとしての知的な跳ねっ返りは奨励したい。世間体や、あれこれの脈絡なり利害関係を無視した、いわば「空気を読まない」議論というものは、原理原則だけで議論してよいステージにおいては逆に責務でもあって、そういう議論や思考を積み重ねる経験がなくては、単に流されたり、自分で考えているつもりでも『ニュースステーション』を観た記憶や報道内容から受けた感情にもとづく受け売りでしかなかったりするものだ。

それが俗人の知性というものである(もちろん僕も含まれる)。

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