2017年02月01日10時10分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-01 10:10:21

僕は或るテーマや問いをもっていて、それを探求するに相応しいと思える学術分野を選んでいるので、科学哲学ましてや哲学を学ぶことが自己目的化しているようなワナビーとか一部の無能な研究者とは学問に対する考え方が相当に違っているのだと思う。

しかし、だからといってただちに良い悪いを言うつもりはなく、自己目的化したパズル解きからでも「面白い結果」が出てくることは否定しない。僕もパズル解きに加わることもある。そもそも、既に高等教育からして大衆化して久しい現今の先進国において、プロパーの大多数も凡人なのだ。しかるに、そういう凡人向きのルーチンワークをバカにして、自分だけはものごとのなんたるかを分かっている真の哲学者や天才であるなどと思いこむのは、はっきり言って自意識で学問の用語をこねくりまわしているだけの無能、つまりは凡人以下でしかなかろう。

・・・と書いたはいいのだが、途中で業務の質問へ答えているうちに、何を書こうとしていたのか忘れてしまった(笑)。ああ、そうそう。思い出した。それなりの本やオンライン記事を読んできたおかげで、最近ようやく脳科学や意識に関する新刊書の大半が、殆ど追試を受けていない、著者たち自身の実験結果をもとにしただけの「クズ」であることが分かってきたという話だ。これは科学哲学についても同じことが言える。以前にも Google+ で書いたと思うのだが、僕が科学哲学を専門にしている一つの理由は、科学に関する哲学的研究のうち、どれが馬鹿げているかを見極める力をつけるためなのであった。もちろん、PHILSCI.INFO で書いているように、学問や学説に異常も正常もないとは思うが、馬鹿げた研究や愚かな学説というものはあるだろう。そして、それを叩き潰す力は、やはり外からの印象批評や傍観者的な批判だけでは不十分であって、或るていど実際に当該分野の知見や議論を踏まえた上での批評も必要だ。

ただし、それがただの小文字の政治つまりは党派的な動機にもとづくつまらない非難ではいけないし、本人が無自覚にそういう非難を学術的な批判だと勘違いしている恐れもあるし、周りから間違ってそういう非難をしているように誤解されるというさまざまなリスクを考慮しなくてはならない。そういう抜け目のなさというものは、学術研究者にとって忌避すべき所業と思われるかもしれないが、しょせん現今において学術研究とその成果は大多数の門外漢の評価なくして維持できるものではない。

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