Scribble at 2022-11-18 21:50:14 Last modified: 2022-11-18 21:54:18

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日米口語辞典(朝日出版社、1977)

エドワード・サイデンスティッカー氏と今年の3月に亡くなった松本道弘氏との共著で、僕が手に入れたのは初版だが、いまでも初版ですら評価が高い。現在は2021年に最新版が出ていて、ぞろぞろと英語の語彙を暗記するしか才能がなさそうな業績のない馬鹿どもが宣伝して回っている。確かに読む辞典として編纂されただけのことはあって、読んで理解するというアプローチにはそれなりの利点もあろう。

しかし松本氏には気の毒だが、「英語道」などと称してみたところで、言語の本質は記憶した単語の数や流暢な発音や自然なコロケーションではなく、あくまでも内容なのだということを、クソみたいな発音のインド人が教えてくれるのが現代のわれわれが置かれている圧倒的な差だ。日本人で、アメリカの IT 企業の経営者どころかボード・メンバーに入ってる者すら殆どいまい。

たとえば、いまでも数多くのレビュアーが絶賛している初版を手にして驚いたというか呆れてしまったのが、数々の女性蔑視としか言いようがない例文や解説文の山である。

「じっさいはブスなのに」

「あばずれ」

「彼女は仕事か結婚かどちらかを選ばなければならなかった.両立しないことを知っていたからだ.」

「なあに,じきにまた次が見つかるさ」

「彼女には,まだちょっとあどけなさが残っている.」

「あの女はいつも人の揚げ足を取ってばかりいる.」

「彼女は愛想がよいので,人から好かれる.」

「あの娘はあまり愛想がよくないね.」

「彼女はいつも愛想笑いばかりしている.」

などと、冒頭から10ページにも満たない間に続々とこんな表現が出てくる。僕は、何度も言うがフェミニストなんかではない。でも、このような文例が山のように書かれた辞典を「名著」と叫んでいるレビュアーが例外なく男である(少なくとも文体からすれば女性が書いてるレビューとは思えない)という事実から言っても、やはり愚かな精神論を言語の教育に組み込んでしまった人々のエコーチェインバーでは、批判的な観点も身に着かなくなってしまい、ひたすら「英語ペラペラ」というバカの一つ覚えだけを目標にする無能な口先野郎が再生産されるばかりなのだろう。

そら、インド人や中国人に負けるわけだよ。なお、この文章も後から「英語の勉強について」という論説に追加しておく。

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