Scribble at 2023-10-27 22:20:12 Last modified: 2023-10-27 22:46:27

これは後から「英語の勉強について」という論説に追加しようと思うのだが、ひとまずここで書いておく。本日は経営会議を全員で本社へ集まって実施したので、朝から出社していた。昼にジュンク堂の大阪本店へ足を向けて、英語の参考書や辞書の棚を眺めていると、「名著」だの「700万人に教えた」だのと色々なキャッチ・フレーズが付いた英文法の分厚い参考書が何冊も新刊で並んでいる。

出版社には、いい加減にしろと言いたい。

それだけ名著が数多くありながら、なんで日本人の大半は昔からまともに英語を読み書きできないのか。それらの本が良く出来た文法書であることは否定しないが、しかし恐らくその理由は、それら「名著」の文法書を色々と読み漁っていたのは、しょせん一部の英語好きや英語の教師だからだろう。莫大な人数の生徒がそれだけの色々な名著を手にして、丁寧に読み続けて、そして「名著」だと評価できるほど英語を習得していたとは、とうてい思えない。大半の人は、そんなもの一冊たりとも読んではいないのだ。

こういう体系的な参考書というものは、英文法だろうと積分学だろうと科学哲学だろうと、書店で眺めてみて良さそうだと思えたものを一冊だけ購入して、分かろうと分かるまいと、あるいは分かり易かろうと難しかろうと、なんであれ一度は問答する余地なく通読するという体育会系の鍛錬を自分に課さなくてはいけない。そうして、分からなかったことや分かりにくかったところを覚えておいて、再び書店で別の参考書がどう説明しているかを比較してみるとよい。たぶん、その分かりにくいと感じたことを他の参考書が丁寧あるいは的確に説明していようと、今度はその別の参考書には違うところで分かりにくい内容や不十分な記述がある筈だ。要は、いかに体系書であろうと MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)であるような遺漏のない著作物などありえないのである。なぜなら、文法もまた時代によって変化したり進展するし、同じ言語でも使われている地域や国によって違う(そして収録するべき多様性として)特徴をもつからだ。

要するに、どれか一冊にコミットして精読することから始めるしかないのである。そして、実はあれこれと浅く読み重ねるよりも、一冊を精読して身につける方が実力がつくのに、中途半端な英語おたくは色々な文法書に手を出して、結局は英語が生活なり生き方の道具として身につかない。要するに、みなさんは「英語の文法書をたくさん読んだ偉い人」になりたくて英語の勉強をするんですかという本質的なところを straightforward に考えるべきなのだ。そうするだけで、何冊もあれこれと文法書を読むなどという暇潰しに時間やお金を使うくらいなら、評価の高い一冊を精読する方が効果的であると思い知るだろう。

それに、ここ数年で続々と復刊されている「名著」の文法書は、そもそも絶版だったものが殆どだ。ということは、大半の受験生には支持されていなかった参考書ではないのか。たかだか教員に売れていたていどのことで「名著の復刊」などと言っていいものか。もし、本当にそういう事情があるなら、少しはものごとの道理というものを考えてから広告してもらいたいと思う。それでは君たち、マーケティングのセンスとして YouTuber のガキ以下だよ。

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