Scribble at 2022-10-02 11:08:17 Last modified: 2022-10-05 10:42:38

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【絶対にやめて】無能な人の英語学習法TOP3

なかなか今回も興味深い話だった。先に内容を紹介してしまうが、彼女が説明している三つの無駄な英語学習法とは、(3) 単語帳を使う、(2) 文法を勉強する、(1) 英語の先生に質問する、というものだ。それぞれの理由は動画を観ていただき、それぞれで判断していただくとして、ここでは僕から幾つか反論させていただく。

まず、単語帳は市販の単語帳であれ自分でノートに書き溜めてゆくものであれ、要するに使い方によって有効にもなるし無効にもなる。これは、当サイトの「英語の勉強について」というページで和英辞典の是非について述べている話と同じく、simpliciter なテーマではなく、条件によって正否が異なるのである。もしこんなことを simpliciter つまり無条件に誰にとっても無駄なことであるとわかっていれば、明治時代から学校教育に英語を取り入れてから150年間も無駄な教育をしていたなんて話になる。それほど教育というものは単純ではない(そしてそれゆえ、たいていの教師の「教授法」なんて個人的な経験、教師生活35年にわたる「経験」であろうと、そういう矮小な事実から得た感想を言っているだけの御託でしかないという事例も多いのだが)。そして、彼女も単語帳を使うべきではない段階の学習者がいるという前提で話をしているのであるから、動画の演出として極論を口にするのは仕方ないとしても、やはり極論を言いすぎると、従来の英語教師と同じく個人的な経験(その大半は、やめていった生徒ではなく記憶に残る成功した生徒と接した経験である)だけで生存バイアスに陥ることとなろう。何度も言うようで気の毒だが、成功者を100名輩出したのは結構だけど、あなたの英語教室を1レッスンだけで止めた人や、1年ほど通っても英検2級すら合格できない生徒は、他にどれだけいるんですかと聞きたい。ていうか、そもそもレッスンの受講者を募る時点で何らかのハードルを設けてる可能性だってありそうだ(受講料がそれなりに高額であるとか、そもそも英検2級ていどは合格してないと申し込めないとか)。

そして次の文法についても、僕の評価は同じである。また、彼女自身も、単語帳の話と同じく動画では文法を学ぶ良しあしについて全く無意味だとか無駄だと言っているわけではない。実際、彼女が言っているようなタイプの批評やアドバイスは、彼女の独創でもなければ最近の話でもなく、はっきり言えば僕らが学校で英語を勉強し始めた頃から色々な本や雑誌で指摘されていたことであり、或るていどの説得力はあるが無条件に同意してよい話でもない。みなさんも英語の勉強について、いちどくらいは「赤ちゃんは言葉を覚えるのに文法の教科書なんて読まない」などという、僕に言わせれば「減らず口」としか言いようがないセリフを読んだり聞いたことがあると思う。もちろん、発達科学や認知言語学という研究分野でヒトの個体が言語を習得するプロセスという話をしているなら正当な話であるし、それが事実というものであろう。いや、そもそも「文法を理解していない幼児が日本語で何かを表現するために文法書を読む」という表現そのものが論理的におかしい。文法がわからないのに、どうやって文法書という本を読んで理解できるというのか。しかし、中学生や高校生ならともかく、一通り初歩的な勉強をしている大学生や社会人が英語を学ぶときは、既に母語としての日本語という最低でも一つの言語体系について理解し運用している体験が備わっているのであり、その状況で異なる言語を習得するという条件は、未熟児が言葉を覚えるのとでは話が違う。そして、文法は要らないという、格好はいいが無責任なフレーズをまくしたてる連中の大半は、発達科学や認知言語学どころか、英語教授法について学部レベルの勉強すらしていない素人であるから、結局のところ自分の身の回りで起きた結果論で喋っているだけにすぎず、大半の大人や社会人には通用しない、都合の良い事例だけで固めた話をしているのである。また、これも「英語の勉強について」というページで書いている話だが、「幼児みたいに英語を習得する」というのは、要するに社会人が幼児並みの理解で言葉を使ってもいいという傲慢な話をしていることに気付くべきである。知りもしないのに、"theory of relativity" という言葉を口から発音できるというだけで何事かを「自己表現」しただの英語で話しているだのという妄想に陥ることは、英語や言語を習得するという以前に、社会の一員つまりは人として避けるべき自己欺瞞に陥るということなのである。

たとえ英語で流暢に喋れるようになろうとも、自分勝手に物事を理解して言葉にするような人間になってはいけない。

そして三つ目についても、無条件で言えるような話ではない。こう言っては身も蓋もないが、僕が中学時代に英語を教わった先生は高橋一幸という人物で、現在は神奈川大学外国語学部英語英文学科の教授だが、1980年代は僕の母校(大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校。現在は名称が違う)で英語の教員をされていたし、僕が中学2年のときは担任でもあった。発音がいいかどうかは正確に覚えていないが、短期間だけ補助教員として招いていたネイティブのアメリカ人とも全く問題なく会話していた。また、英語のスピーチでは僕と一時だけ競っていた(そしてすぐに僕が全く追いつけないレベルに行ってしまった) W 君という同級生(外務省から MIT の修士課程を経てマッキンゼーに移り、そのあとは何社かの取締役をやっていた)にも英語のスピーチを丁寧に教えていたくらいはできた先生である。要するに、これもこう言っては身も蓋もない話だが、それなりのレベルの学校ならまともな英語教員なんていくらでもいるわけで、「まともな英語教員」が少ないのは僕も同意できるが、それは彼女が動画でも言うように、まさに中学と高校の話であるから、社会人になって英会話の教員を「客」として自分で選べる立場になれば幾らでも改善の余地はある。

それから、ここまでの僕の反論でも薄々感じられると思うが、彼女は自分のアドバイスが当てはまる相手を、社会人だったり中高生だったり都合よく置き換えてしまうのだ。こういうトリックにも注意したい。僕はもちろん社会人として一通りの授業を中学や高校で受けた経験がある人を想定して、彼女のアドバイスが適切であるかどうかという観点で反論している。

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