2021年09月11日に初出の投稿

Last modified: 2021-09-13

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メンバーの才能を開花させる技法

本書は店頭で良さそうだと思って新刊として買っておいたのだが、読み進めると最初の2章で選択を間違ったことに気づいた。クズみたいな本を、よりにもよって新刊で買ってしまうなんて、これは情けない。古本屋行きの山に加える。

よく、売上だけで「腕力系」の自己中な営業野郎を部長なんかにして失敗してる会社がたくさんある。個人として得意先まわりや飛び込み営業してる分には成績が良くても、そういうスタンド・プレイしかできない人物を、転職されないように引き止めるとか、報奨のつもりで管理職とかにしてしまうと、たいていは碌なことにならない。そういう人物が部下に自分の営業手法を伝授すると思っている経営者が多いらしいのだが、属人的な口八丁や手練手管を自然体で実行している人物にとって、実は何をどう他人に教えたらいいのかは分からないことが大半だ。それに、何をもって自分の教えたことを他人が会得したのかという基準すらもっていない。それゆえ、自分と同じことができず、同じだけの成果を上げられない部下を怒鳴ったりしかできない上司が出来上がる。

要するに、この本はそういう人物はリーダーとして不適格だと言っているにすぎない。その逆に、タイトルにもある "multipliers" という部下の能力を引き上げるリーダーというのは、第2章までの文章を読む限りでは、これまたビジネス本にありがちな結果論をなぞっただけの典型的な生存バイアスだ。「良いリーダーは部下を育てる。そういうリーダーにはこれこれの人物がいて、部下にどうこうして、その下で育った人はどこそこの CEO になった」といった論点先取の説明が繰り返される。あいも変わらず、ハーヴァード・ビジネス・スクールを出ているくせに correlation と causation の区別、あるいはどちらが原因でどちらが結果なのかも区別できないバカが何十年も減らないのは、マサチューセッツ州はボストンという土地に何か頭を狂わせるタタリでもあるのかと思いたくなる。

他にも本書では、そういう良きリーダーの下で育った部下がどう multiplied されたのかという描写として「非凡な」とか「並外れた」とか「際立った」とか、徹底的に定性的な説明しかない。あるいは、どこそこの CEO になったという実例も幾つかあるのだが、結局は或る一人のリーダーに何人の部下がいて、そのうちの何人が一定以上の基準で成果を上げたのかという実証的な話が皆無の、茶飲み話でしかない。また、反面教師のリーダーをあげつらうことが目的ではないとして実名を伏せているのだが、それなら自分たちが優秀だと考えるリーダーを称賛することも本書の本来の目的ではないだろうから、そちらも実名を上げるのは控えるべきだろう。要するに、具体的に〈悪いリーダー〉の実名を上げたら名誉毀損などで訴えられるから伏せているだけのことではないのか。もし実名で紹介しなければ説得力がなくなるなら、両方とも実名を上げるのがフェアというものだ。つまるところ、実例などなくても理論として十分に妥当な議論ができず、雑な成功物語を並べるくらいしか説得力のない内容だという事実を自分たちで証明しているようなものではないか。

序文を書いているスティーヴン・コヴィーが他人(マルコム・グラッドウェル)を DIS ってるという珍しい文章を読めたことは、本書の一つの些細な収穫だった。しかし、それ以外は著者らの思い込みを検証する作業に読者が付き合わされているだけでしかない。しょせん企業経営の経験どころかバイトすらしたこともないようなハーヴァードのお坊ちゃんは、経営学というものを築き上げる一助になるべく、少しはまともなレベルの社会科学の勉強をして業績を上げてから本を書くべきであろう。恐らく、このようなテーマで最も重要なのは、著者らが「消耗型」と呼ぶような悪いリーダーの〈存在〉ではない。そうではなく、そういう人物を(たいていは年齢とか売上とかリーダーシップにとって本質的ではない理由で)リーダーに抜擢してしまう経営層の問題だ。自覚のない当人に良くなれと言っても無意味であろう。こういう場合、個々の人物を不適格であると判定してマネジメントのレイヤーから取り除けるのは経営層だけだし、経営層にはそうする責任がある。

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