Scribble at 2021-08-27 12:24:18 Last modified: 2021-08-28 09:43:33

このところビジネス書の話ばかり投稿しているが、これまで大して真面目にビジネス書を手にとってこなかった(というか積ん読だった)理由は、かなり年数を遡る。

僕が通っていた高校は大阪環状線の寺田町という駅の前にあった。学校から寺田町の方向へ向かわずに、西へ歩くと天王寺という駅があって、周辺にはデパートや大型書店などがあった。現在は「あべのハルカス」や「天王寺 MiO」や「あべのキューズモール」といった大型の商業施設も増えて、今でも開発が進んでいる。Loft のある付近は、僕が高校生の頃はラブホテル街だったのだが、いまではすっかり様変わりしている。

さて、土曜日のように放課後の時間がたくさん空いている日だけでなく、それ以外の平日でも、帰宅する途中に天王寺駅の周辺にあった大型書店へ立ち寄る機会が多かった。いまは無くなってしまったが、ユーゴー書店というお気に入りの本屋があって、ビルとして店を構えていた。それから現在は「天王寺 MiO」に入居している旭屋書店が、当時は阪堺電車の路線を挟んでユーゴー書店の向かいにあるパチンコ屋の上に店を構えていた。それぞれ置いてある本は少しずつ違うため、参考書や問題集を買うときは両方の書店に立ち寄って、それぞれが独自に仕入れている本を見つけては比べたりしていた(他にも、難波の駸々堂とか梅田の旭屋書店などにも足を運ぶことはあった)。

そういう書店で、当時の高校生であった僕らが物笑いの種にしていたのが、『プレジデント』という雑誌だった。いまでも発行されているのだとは思うが(実はぜんぜん興味がないので、知らない)、その当時の記憶だけで言うと、それこそ毎月のように「織田信長に学ぶ経営戦略」だの、「孫子の兵法で人心を掌握する」だの、パットン将軍・・・は登場してなかったと思うが、要するに〈その手の経営与太話〉を当時からもせっせとバラ撒いていたわけである。もちろん、当時の僕らは経営どころかバイトすらやったことがないガキにすぎなかったが、ともかく歴史資料や古典が伝える事実や思想の典型的な濫用だという直感は持っていた。実際、大阪でも屈指の大企業を経営する家の息子や娘も数多く通っていた高校だったため、彼らからも「親はそんな雑誌を読んだりしないし、会社で購読もしてない」と聞いていたという理由もある。もちろん、帝塚山や芦屋の自宅で大企業の経営者が『プレジデント』の記事をこっそり読んでいても、別に軽蔑するほどのことではないが、企業の経営者として時間を浪費しているというくらいの助言は高校生でもできる。

加えて、同級生の中でも僕は小学生の頃から考古学を勉強していて、恐らく高校1年になるまでは考古学者を志望していたし、同志社の森浩一先生の研究室を訪れたり、住んでいた家の近くにあった郷土博物館の館員が使う研究室への出入りを許されていたくらいの才能は認められていたため、なんだかんだ言っても過去を扱う軽率で、しかも(当時の高校生から見ると)企業経営などという、たいていは浅ましい目的のために人の生死に関わる戦争や外交の事実を弄ぶとは、はっきり言えばそういう記事を書いたり雑誌を発行している連中は人間のクズだと思っていた。

それ以降は書店でも見向きもしていなかったため、その後にドラッカーだのポーターだのと経営学という分野が立ち上がってきて、続々と業績が(僕に言わせれば、2021年現在でも未熟としか言いようがない業績が)出てきたことを知らなかった。それゆえ、ながらくビジネス書を徹底的に無視していたわけである。

なんにしても、僕が高校生だった80年代後半は日米の貿易摩擦があって、アメリカ人がトヨタの車をぶっ壊して「真珠湾を忘れるな」と叫んでいた時代だった。日本の企業がアメリカの企業を続々と買収したり、アメリカの土地や美術館の作品を全て日本企業に買い占められてしまうと現地のメディアが騒いでいたくらいだ。現在のアメリカで唱えられている中国脅威論にしてもそうだが、欧米人には昔から「黄禍論」という強迫観念が根強くあって、アジア人に世界を支配されると喚く人たちが少なからずいる。そういう経緯もあってか、日本を脅威と見做す論調がアメリカでも数多く新聞や雑誌を賑わせていたし、国内では "Japan as No.1" という傲慢な風潮がのさばり、海外の経営学や経営者の本なんて1980年代が終わるまでは殆ど翻訳されていなかったし、書店にも並んでいなかった。代わりに、それこそガラパゴスと揶揄されるとおり日本の国内だけを眺めて、出版社はせっせとアホみたいに、徳川家康に学ぶ人事だとか、福澤諭吉の経済戦略だとか(これは分からなくもないが)、果ては歴史学としても確たることが言えないような時代まで持ち出して、義経だ道長だと馬鹿げた記事を書いては、同じくらい愚かな上場企業の腑抜け社員たちが新橋あたりの酒場で管を巻きながら話題にしていたというわけである。多くの経営者や従業員は、そのような暇潰しに現を抜かすだけならまだしも、磯崎某を初めとする無能に莫大なお小遣いを渡してはクズみたいなポストモダン建築物をあちらこちらに立てたり、過剰な消費文化と恋愛の勝利こそ人生の証とばかりに糸井重里と博報堂とフジテレビによるロクでもない風潮が学生を更に〈あっぱらぱー〉にしていったし、程度の低い演劇や芸術の文化事業が繰り広げられた。そうして21世紀の日本に残ったものと言えば、いまだに LGBTQ をキワモノのタレントとして扱うテレビ番組、アダルト・ビデオ、成人向けアニメ(たぶん宮崎アニメは、成人漫画雑誌にときどき掲載される社会派漫画の類として扱われているにすぎない。他に多くの一般向けアニメも、エロゲーを元にしたアレンジだったりするようだ)、芸者、パパ活、それから「ラノベ」と呼ばれる中高生向けのエロ小説だけとなってしまった。この国は、一部の頭のおかしいフランス人を除けば、大半の欧米人からはアジアの冠たる風俗街と見做されているのではないか。

僕が高校時代を過ごしたのは、日本がそういうクズ国家になっていく〈終わりの始まり〉と言うべき時期だった。考古学なり、戦史の理解を含むシミュレーション・ゲームなり、歴史に或る程度の見識をもつ生徒が、そんな馬鹿げた風潮を笑わずにはいられまい。

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