Scribble at 2024-08-31 19:23:20 Last modified: 2024-08-31 23:49:40

つい何日か前の、自民党総裁選に絡んで X で「誹謗中傷」のユーザをブロックすると述べた河野氏について、恣意的にブロックする恐れがあるからいけないという疑問を持つ人がいるようだ。しかも、それを民放の女子アナが突っ込んだとして、いかにも暗黙の女性差別が大好きな左翼の「女が男に反抗したのを寿ぐ」という構図が出来上がっている(つまり55年体制の社会党と同じで、彼らは女性が不利な立場にないと、彼女らをサポートする僕・私というスタンスを維持できなくなって困るのだ)。正直、保守の人間として考えてみても、このような議論は非常にくだらないと思う。

左翼やリベラルによれば、政治家が自分の基準で勝手に「誹謗中傷」と判断して他人の投稿を無視することは、何か公人として問題があるらしい。しかし、国政代議士に誰のどういう意見であろうと見聞きするなどという、そんな法令上の義務は最初からないのであって、たぶん左翼やリベラルの多くは誰の投稿であろうと読むことが「民主主義」だと錯覚しているのだろうけど、とにかく日本で大昔から続いている「民主的」や「民主主義」という言葉に対する錯覚や思い込みは、度し難いという印象がある。もちろん、それを政治学者がどれほど分厚くて高価な本で指摘していようと(そもそも指摘しているのかすら知らないが)、新聞記者なども同じ程度に妄想を抱いているので、修正しようがない。そして、海外通とかアメリカのリベラルについて本を書いているような人々の「風変わりな見方」だけが傍流の読み物として販売されたりする。

政治家がどういう見識で振る舞おうと、その事実をもってして評価し投票行動に反映させたらいいだけのことである。したがって、左翼にとって「なかよし」の人々を河野氏が X でブロックしたら、彼はその人物の投稿内容などを理由にブロックしたのだから、その事実をもって河野氏を評価すればいいだけのことでしかない。彼(あるいは代行の秘書や広告代理店のスタッフ)が、誹謗中傷だろうと不都合だろうと耳を傾ける必要がないと判断した投稿内容は、そういう判断を経ているならブロックされようとされなかろうと読まれないし政策にも反映されないのだから、ミクロなスケールでの政治過程としては全く何の影響もない。

したがって、ここ数日の河野氏に対する不平不満の類は、自分たちでは何か『笑点』の大喜利よろしく上手いことを言ったつもりなのだろうが、自分の判断でブロックするという公人にも認められている行為を、殆ど何の根拠もなく否定するという「下からのファシズム」を平気で口にしていることにも気づかないという度し難い姿勢によって支持されているわけだ。他人の襟を掴んで「俺の言う事を聞け」と、株主総会に出てきたゴロツキみたいなことをやっているのが、これら「民主国家の市民様」というやつである。

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