Scribble at 2024-09-01 08:44:22 Last modified: unmodified
There is a serious point, though, which I started to glimpse at PyCon: that the values and assumptions contained in programming languages inform the software that’s written with them and change the world accordingly. By the time I’d learned that Brendan Eich, author of JavaScript, is an anti-vaxxer and was a supporter of a campaign to have same-sex marriage nixed in California, I wasn’t surprised.
まるで、都内で React を弄くり回しながら X にヘイトや陰謀論を投稿してる JavaScirpt キッズを解説するような記事じゃないか。冗談はともかく、五十代でプログラミング言語やコーディングを学んだ人物の感想としてはひとまず参考になる。
でも、僕も含めて、いまプログラマとして企業で働いている五十代の人々の大半は、記事の筆者がプログラミングを学ぶにあたって当然のように想定している「コミュニティ」なんてものには参加していないわけだよ。僕らが学んだ当時、自宅にコンピュータを持ってるなんて、まずお金に余裕がないといけないけれど、それ以上に変わり者だったわけだ。1980年代前半の頃だと、コンピュータなんてせいぜい「高価なレジあるいは電卓」だと見做されていたか、あるいはアニメやテレビ・ドラマの影響で「キチガイ科学者の道具」みたいなツールだと思われていたわけで、こんなものをわざわざ自宅に買って置くなんて、子供が言い出すようなことではなかった。もちろん、僕は中学の入学祝いで SHARP の MZ-80B を購入してもらったのだが、子供に与える玩具としては30万円を超えていたし贅沢にも程があった。
僕は、それなりに裕福な家庭が多かった学校に通っていたため、自分のコンピュータを持っている同級生が何人かいた。でも、所持しているマシンはバラバラだった。一人は富士通の FM-7 で、一人は NEC の PC-8801 で、もう一人は僕と同じく SHARP だが X-1 というテレビも見られるモデルだ。そして、当時はメーカーが違うとハードウェアだけでなく使う言語も微妙に違っていて、少なくともメーカーごとにパソコン雑誌が出ていたものだった。なので、僕が読んでいた『Oh! MZ』という雑誌に掲載されているプログラム(BASIC かアセンブラが多かった)を NEC のパソコンでそのまま入力しても動かないことがあった。ましてや人によっては同じパソコンを使っていても異なる言語(Fortran のユーザも多かった)を使っていたりしたので、更に話の通じる相手が減ってしまう。また、そもそもパソコンの用途が人によって異なり、そして用途が異なるとプログラミング以外の運用が違ってしまうため、関心の向く話題も全く違ってしまう。もちろん、自営業者の人々は帳簿処理のことしか考えていないし(それでゲームするなんて想像もしていない)、僕のように遺跡のデータベースや古墳の簡単な 3D モデリングをしていた者もいるが、たとえ両者が同じパソコンを持っていたとしても、共通の話題はプログラム言語かハードウェアくらいだ。でも、そもそもそういう組み合わせで会話が成立する場がなかった。せいぜい、雑誌の投稿欄で同志を募集するていどだったろう(いまでは考えられないことだと思うが、1980年代頃までは、高校生の女の子でも雑誌に自分の住所を掲載して「ペンパル」なるものを募集していた時代があった)。