Scribble at 2020-09-17 10:37:47 Last modified: unmodified

添付画像

A modern desktop interface for Linux - packaged as an extension for GNOME Shell.

Material Shell

見ての通り、Gnome の拡張機能としてウインドウをタイル状に並べたり置き換えたりするインターフェイスを提供するようだ。そして、Hacker News のコメント(第一声に的確なものが多いのは、さすがだ)にもあるとおり、はっきり言ってこのていどで "modern" などと曖昧なことを書くのは大言壮語というものだろう。日本語に置き換えたら「現代的」つまり古臭い言い方では「ナウい」と言っているのに等しいが、では何が古くて、それよりも何がいいのか。実際には、ウインドウをタイル状に並べるなんてことだけなら、Windows 2000 でもサポートしていたようなことだ。それをショートカットで色々と並べられますというだけでは、それこそ「現代的」とは Windows 2000 以降のことかという皮肉が出ても仕方あるまい。

それに、ムービーを見たらわかると思うが、アプリケーションのウインドウをそんなに小さくして並べて、何の意味があるのだろう。僕は基本的に、デスクトップ上のアプリケーションは一つしか表示しない。昔は、アプリケーションを幾つか使って業務を進めるときは、複数のアプリケーションを実際に起動したり終了させながら切り替えていたので、inactive のウインドウがそもそも存在せず最小化すらしなかった。いまでは、そこまでのことはしていない。一時的に使わなくなったアプリケーションでも最小化くらいはするようになったが、それでも大半の業務は同寺に複数のウインドウを見る必要などないので、ほぼアプリケーションを alt + tab で切り替えながら使っている。会社でも自宅でも、マルチ・モニターで仕事をしたことはほぼない。そういう環境や使い方でも、開発業務で大きな支障はないし、成果として何か問題が生じたとか、あるいは端的に言って生産性が低いという証拠もない(もしそうなら、これだけ自信たっぷりと凡人の3倍とか5倍とか言うわけないし、逆にマルチ・モニターにしたら凡人の10倍の生産性で仕事ができる筈だったのかという話になる)。複数のアプリケーションを立ち上げているときでも、画面を見る必要もなければ、inactive なウインドウなりプロセスなりタスクとして何があるかを覚えているくらい機械の助けなど必要ないわけで、いったいなんでタイル状に並べる必要があるのか、さっぱり理解できないのだ。しかも、表示する必要があるだけの大きさや形だとは限らない、スクリーンのただの 1/4 とか半分とか、目的合理性が何もない基準で分割されても、そんなユーザ・インターフェイスに自分の作業環境の要件や認知能力を合わせる方が不合理というものだろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook