Scribble at 2022-10-12 11:56:03 Last modified: 2022-10-12 12:01:54

物理学者こそが出鱈目な概念を振り回している事例というのがあって、その最も有名で典型的な事例は、いわゆる「タイム・トラベル」だ。こんなものは冷静に考えたら高校の物理を勉強していない中学生でも、馬鹿げた概念であることが常識的な推論だけで結論づけられる。こういうファンタジーが真面目に議論されてきた理由は、既にベルクソンのような哲学者が語っていたように、時間の概念を空間的なイメージとして理解したり、視覚的なモデルとして扱ってしまう、ヒトの認知能力の特性(と言えば中立的だが、「歪み」とか「不完全さ」と言い換えてもいい)に求められるだろう。そして、ヒトに限らず全ての動物は自分の認知能力の範囲で処理できることしか処理しないのが当たり前である。それを超えた(と思い込んでいる場合も多い)実在とか抽象的対象といった概念にしても、しょせんは各人が経験や空想でこしらえた手持ちの観念を外挿しているだけであり、その明白な論理的根拠を言うなら、この宇宙に「概念の概念」が実在しないという一点だけを指摘すれば足りるだろう。これは論理的な議論だが、物理的な議論に置き換えるなら「宇宙の原因」とか物理法則の原因の必要条件をヒトが想像すらできないという議論と同じだし、形而上学的な議論としては伝統的な「究極の問い」(なぜ存在、つまり「ある」ということが成立しているのか)が相当する。

このような理由があって、僕は科学哲学の研究者としてタイム・トラベルに関する議論とか研究というものは完全にナンセンスで時間の無駄だと思う。よって、それらに関する論文も著作も読まないし、批判するための責務として読むということすら人生の浪費だと信じている。ありがたいことに、われわれアマチュアには、その種の学術コミュニティにおける責務というものがないので、ナンセンスと断定した議論や話題については端的に無視すればよく、「ナンセンスである」と論文を書いたり人を説得したり、他人に論証する必要も理由も責任もないわけである。こんなバカげた話に付き合ってなどいられない。せいぜい、SF マニアやアニメおたくが喫茶店で喋っていればいいような話題でしかないと思う。

過去から未来への時間軸という経路をモデルとして想定し計算すれば都合がいいという数学的な話だけで、時間と呼ばれる何事かがあるかどうかを結論したり仮定できるものではない。また、その是非を論じるべきかどうかも自明ではない。虚数は色々な計算や証明にとって有益だが、虚数が「ある」かどうかとか、「本当にある」かどうかを議論する数学者など殆どいないだろう。太陽が昇ったり落ちたりする挙動を眺めるだけで、ヒトに昨日や明日という観念が生まれるわけではないのだ。したがって、因果関係についても、心理的な実験で子供が会得すると言われる認知能力について、それが「原因」や「結果」という因果関係の項(causal relata)として理解しうる何かであるという保証はない。それをそう解釈するわれわれが、実験の結果を都合よく解釈し誘導したり歪めている可能性がある。よって、僕は因果関係について反実在論を支持しているが、だからといって因果関係が心理的なフレームとしてヒトの認知能力に備わっているといった発生論的な議論は支持していない。

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