Scribble at 2019-01-11 14:25:27 Last modified: 2022-09-29 08:09:05

何日か前に、ふと書店でポール・オースターの本を読んでみようと思い立ち、『孤独の発明』を手に取った。二編の中編小説が納められていて、先日の昼過ぎに最初の小説を読み終えた。オースターの作品は MARUZEN × ジュンク堂の洋書コーナーで『4 3 2 1』という奇妙なタイトルを見かけてから、何か読んでみようと思っていたところだったので、最初に柴田さんの読みやすい翻訳で読めたのは良かった。

もちろん書店では他にも幾つかの作品が並んでいたけれど、『孤独の発明』を選んだ理由は、恐らく母親が亡くなってから毎週のように実家へ行って父親と食事したり話をするようになったからだと思う。

僕にとって、いまだに父親は色々なことが分からないままの人である。父親は来月には80歳となるが、若い頃は大正製薬に勤めていたとか、薬品や輸血用の血液をバイクで運んでいた・・・いや、父親がそもそも免許を持っているということ自体、全く知らなかった。僕は目黒区の緑が丘で生まれたのだが、父親が東京へ行った経緯なんて聞いたこともなかったから、もう少し丁寧に聞いておきたいと思っている。オースターの小説に出てくる「父」とは違って、僕の父親には何かを無自覚に演じているような雰囲気はない。したがって、幾つかの例外を除いては覚えていることを答えてくれるとは思う。恐らくは多くの家族に言えることかもしれないが、それなりの欲求なり動機なり目的なりを持って生きている個人としての母親や父親に向き合うという機会は、やはり何らかの大きな出来事があったり(当家の場合は母親が亡くなったこと)、どちらかが特に何かを思って話そうと決めない限りは簡単に訪れたりしないのだろう。そして、多くの場合にそのような機会はないまま、個人としての親は亡くなってゆく。

そうは言っても、僕は別に父親の伝記を書きたいわけでもなければ、河本家の当主列伝を書くつもりもない。あるいは、その手の記録をアーカイブするという目的で父親と話す機会を作っているわけでもない。しかし、もともと父親に対して無かったはずの好奇心が起きたのかと言われても、よくわからない。恐らく、いまのところは共通の「不在」である(僕から見た)母親なり(父親から見た)連れ合いについて、同じ家族として何らかの共同体意識をもっているということの確認をしているようなところがある。

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