Scribble at 2019-01-13 11:35:56 Last modified: 2022-09-29 08:55:00

添付画像

ハンディマップル でっか字 大阪 詳細便利地図

僕が最近の地図を「使い辛い」と酷評している理由は、とにかく地図の収録方法に合理性が何もないからだ。たとえば、上の地図帳は2016年に昭文社が公刊したもので、他に適当なサイズの市内地図が安く手に入らないために購入したものだが、やはり殆ど使っていない。

たとえば、僕は小学校が大阪教育大学附属天王寺小学校という阿倍野区にある学校へ通っていたし、同級生が阿倍野区に住んでいたし、阿倍野区にある大阪市立大学も共通一次試験で世話になったり、恩師の一人と言っていい中才敏郎先生の勤務校でもあった。したがって、この『ハンディマップル』のように、阿倍野区の地図が南半分だけ欠落している(実際には違う縮尺の地図があるにはあるが)ようなものを「大阪市の地図帳」だとはどうしても認められない。そんな欠落が生じるくらいなら、全く同じ縮尺の地図を大阪府全ての領域をカバーするように編集してある方が使う側も「この地域は詳細地図があるのかどうか」をいちいち気にしながら、いちいち裏表紙の索引を開かなくてもいい。

もちろん、これは昭文社の地図だけに限った話ではない。とにかく最近の地図は汎用地図でも道路地図でも「大阪市」と銘打っておきながら、大阪市の中心部を除けば住之江区や鶴見区などの周辺地域をことごとく無視したり、小縮尺の地図だけを「辺境地帯」であるかのように恐る恐る付け加えているかのような体裁だ。しかし、いまや多くの人が Google Maps やカーナビで「ページ」とか「境界線」とか「地図の中心」なんて下らない事を気にせず、同じ縮尺で好きな範囲の場所を自由にスクロールできる地図を使っているわけなので、紙の地図であろうとユーザに無断で「ここからはズームアウトする」などと決められたのでは、余計に紙の欠点(何も動かせない、変えられない)を利用者に印象付けることとなり、はっきり言って地図帳の制作・編集方針としては自殺行為だと思う。

僕の記憶では、僕が小学生や中学生の頃に考古学の遺跡調査で使っていたハンディな市街地図というものは、中心部と周縁部の区別無く同じ縮尺の地図を(それこそ大半の領域が海や山であろうと)収録していたように思う。それは、或る人にとっては無駄なページかもしれないが、他の人にとっては必要な地図なのだ。そして、地図の役割とは、地図を提供する側で勝手に「ここは重要だから大縮尺の地図とする」などと、無能の官僚と同じような安っぽいパターナリズムを行使することではないのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook