Scribble at 2023-04-06 09:20:32 Last modified: 2023-04-08 01:19:05

添付画像

国連は、アフガニスタンで実権を握るイスラム主義勢力タリバンの暫定政権から、現地で働く女性職員の出勤を停止するよう通告されたことを明らかにしました。これを強く非難する国連は、男性も含めたすべての現地職員を出勤させない措置をとり、人道支援への影響が懸念されます。

タリバンが国連女性職員に出勤停止通告 国連は非難し対抗措置

この手の話題があると、やれ「タリバーンはイスラムではない」だの異端だのと言うイスラム教のエピゴーネンや信者がいるわけだけど、はっきり言って詭弁だと思うね。キリスト教でも、モルモンだのエホバの証人だの統一教会だのと社会道徳に反することをやったり脱法的な犯罪を起こす連中はいる。仏教でもオウム真理教だの創価学会だのと非難されたり白い眼を向けられる宗派はあるし、それから神道系なんて神道そのものが未熟な土俗信仰やカルトだと思ってる人も多かろう。でも、他方で僕らは色々な宗教に関わる習俗とか作法とか概念や言葉などを受け入れたり、自ら進んで習慣にすらしていたりする。初詣だ、クリスマスだ、お盆だと、何の違和感もなく馬鹿みたいに毎年の行事として励行しているはずだ。

つまり、あらゆる信仰や習俗には、一見すると無害なものもあれば、一見すると有害なものもある。テロは一見して有害だが、しかし彼らの理屈や立場や境遇や事情においては他の選択肢がありえないことなのかもしれない。かつて、われわれの先祖だって頭がおかしいとしか思えない愚かな侵略戦争を起こして数多くの国の人間(日本人も含めて)を殺したという愚行の歴史がある。仏教(特に浄土真宗本願寺派)と神道は、そういう歴史に残る愚行を強力に後押ししたという「前科」があるのだ。初詣だろうとテロだろうと、やっている人間の殆どは無能で無知な凡人なのだから、それが結果として良いのか悪いのかなんて分かるわけもない。そして、他人から見て良かろうと悪かろうと、それで自分の考え方を変えたり他の可能性を探したりなんて、簡単にはできないのだ。よって、悪い結果だけを見て「これは違う」なんて言うのは、それこそ hindsight(後知恵)というものであって、しかも凡人の後知恵なんて後知恵こそが間違っていたり、別の偏見を強化するだけだったりするからこそ、また別の間違いを犯すのだ。

僕自身はなるべく避けたいと思っている思考なのだが、「俺はあいつとは違う」という発想は根本的に危険である。僕らはみんな有限で無能とすらいえる矮小な生物にすぎない。凡人どうしの区別や違いなんて些細なものでしかないのである。だからといって、自分が他人とは違って何かをやる必要や理由や意味がないとまでは思わない。けれども、それを他人とは違うこと自体を目的にやり始めたり続けるのは、結局のところオタクと同じような自意識という精神性、つまりは自己欺瞞に落ち込むだけである。タリバーンもまたイスラムの一つの帰結であり、一つの側面である。ここから出発しないかぎり、何の解決にもなるまい。そして重要なのは、日本は仏教や神道の国だから「イスラムとは違う」・・・なんて考え始めたら何も進展しないということだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook