Scribble at 2024-07-30 18:32:02 Last modified: 2024-07-31 16:45:04
「旅の恥はかき捨て」というフレーズも、非常に多くの人が誤解していることわざの一つだろう。これは、正しい意味合いを説明するなら、旅で訪れたのが事情や風習の分からない土地だからといって勝手に振る舞うものではないという戒めのためにある(『イミダス』集英社)。これを、かなり多くの人は、旅で訪れた土地の事情は分からないので、勝手に振る舞って恥をかいてもよいなどという、まさしく自分勝手な都合で誤解している。『デジタル大辞泉』(小学館)ですら、「旅先では知っている人もいないから、どんなに恥ずかしいことをしてもその場限りのものである」などと愚かな説明を掲載しているくらいだ。こういう意味だと、外国の史跡に相合い傘を書くドキュソとか、日本にやってきて国宝の寺の壁に不愉快なメッセージを残す「愛国者ども」なんかがいくらでも出てくるし、そういう人々を大目に見るのが大人の寛容な態度であるなーんていう、都内のインチキ左翼とかが大好物の軟弱な発想が出てきたりする。
でもね、いま紹介したような連中は、文化財保護法違反というただの犯罪者なんだよ。恥とかそういう問題ではないのだ。それから、江の島にやってきて車道の真ん中で撮影してる連中にしても、実はその土地の風情を感じることで作品を理解しようなんて知性はないわけで、サルに恥もくそもあろうか。行政は、交通整理に余計なコストをかけるべきではなく、そこで何人か車に撥ねられて死のうと、それこそいい牽制材料というものだ(海外で行政がそんなことにコストをかけたら行政訴訟になりうる。行政は地元のために奉仕するべきであって、観光客なんてしょせんは短時間の訪問客にすぎない)。無知で軽率な人間にも一定のサポートがあってしかるべきだと思うが、サポートや忠告(いまではご丁寧に英語やハングルですら表記しているらしい。でも多くの国では翻訳なんてしない。外国に行くなら最低限の言葉を学ぶのが当然だからだ)を無視してリスクを取るなら、そんな人間を守る責任なんて誰にもないのである。しょせん、何らかの疾病や障害を負っているわけでもない限り、最後は自分の身は自分自身の知性で守るしか無いのである。
結局、こういう事例も示しているように、日本では「サービス」という言葉が相当に深刻な程度で歪んだまま浸透していて、それこそ何度か紹介した「お客様は神様です」というフレーズの誤解や、ここにきてようやく対策が始まった「カスハラ」やクレーマー対策などでも分かるように、商行為や取り引きにおいては顧客側に不必要なほど心理的なイニシアチブがあるという刷り込みがある。これは、果たして広告代理店やディズニーが日本に歪んだ思考として蔓延させた「文化犯罪」なのか、それとも他に何か昔から商取引において歪んだ風習があり、敗戦後に「サービス」という言葉を知った人々が出鱈目に自分勝手なことを言い始めたのか、たいていは有名な経営者の評伝まがいと言うべき「分析」を書くしか能が無い経営学者の諸君、あるいは社会学でも社会心理学でもいいが、諸君は、こういう事情を掘り下げてみてはどうだろうか。