Scribble at 2021-08-20 18:12:50 Last modified: 2021-08-22 10:38:47

さきほど『エクセレント・カンパニー』の下巻(講談社文庫)を手早く読み終えた。流し読みでも良かった理由は、この下巻は、大半が大企業で実行されている施策の事例を紹介していたり、あるいは顧客満足を最優先に何が行われているかを半分以上のページに渡って、これでもかと繰り返しているからだ。そこから何が言えるかは、実際のところ大して多く書かれていないので、これらの実例は必要に応じて読み返せばいいだけだと判断して、かなりペースを速めて読み飛ばしていた。(このような実例の多さや重複は、訳者の大前研一氏も解説で指摘しており、わざと問題にしなかったと言っている。)

しかし最後の急ぐように書かれた数章は丁寧に読む必要を感じたし、実際に僕の仕事として参考になるところがあった。それは、僕も以前から構想を持っていた課題なのだけれど、社内規程を (1) 行動指向の内容で、(2) コンプライアンスそのものを自己目的化しないよう、(3) それぞれが自分たちで判断して情報を扱えるような内容に書き換えることだ。これまで15年近くにわたって、僕は当社で ISMS(JIS Q 27001)とプライバシーマーク(JIS Q 15001)という二つの規格に準拠したマネジメント・システムを構築して運用してきた。もちろんルールや手順を正確に整備するという仕事も、しかるべき条件のもとでは意味のあることであるには違いない。しかし他方で、それらのルールや手順について「クソ面倒だ」と思う心情もある。恐らく、その理由はルールや手順が実行する当事者であるわれわれ社員や、情報の当事者である顧客などの〈何のために〉整備され維持されているのかが不明確だからなのだろう。これを「顧客指向」と言い換えたところで、スローガンを新しく作っただけでは誰にも理解されない。よって、それはつまり行動や考えや判断にも反映されないということだろう。

ちょうど ISMS の認証は取り下げて規程の取り回しが相当に楽な体裁となったため、そしてコロナ禍と言われる状況で働き方やデータの取り回しについてもクラウド・サービスの利用が普及してきているので、この機会に社内の規程を作り変えてしまおうというわけである。「個人情報の保護」と言ったところで、具体的な業務や判断や思考において、それが何を意味しているのかが分からなければ(そして自分自身でそれを分かるようになる習慣が身につかなければ)、結局はルールや手順書の多くは決まりきった〈動作〉を繰り返すだけのフォーマットと化してしまうわけで、これこそ形骸化の典型だろう。そこを、マネジメント・システムの管理者である CPO の僕がリスク・レベルの低減を防ぐように色々と注意を発したり記録を要求するといった対応を繰り返していても、それでは企業つまり組織として何かをやっているというよりも、僕という個人の属人的な才能や知識や経験や業務スキルに強く依存したままである。これだと、僕が死んだり退職したら、外部に委託する金があればともかく、社内だけで対応するとなると最初からやり直しであり、相当なコストが無駄にかかる。このような状況を変える必要があるのは、誰にでもお分かりだろう。自分の保身だけを考えるなら、誰にもできない状況を維持する方が首を切られずに済むという発想になるかもしれないが、あいにく僕は科学哲学者というだけにとどまらず、システム開発も中小企業の部長も印刷物のデザインもできる天才なので、そんな心配はしなくてもいいのだ。

僅かな誇張を含む冗談はともかく、このような動機があるので、「個人情報を保護するため」に取り組むというお題目に替えて、「顧客(エンドユーザ)の大事にしているかもしれない情報を守って信頼を得るため」などと言い換えた方がマシというものだろう。そうなると、例えば、

「最低でも1年に1回の頻度で個人情報の管理目録を見直すこと。」

という社内規程についても、相手(顧客でも取引先でもエンドユーザでも、それから弊社の社員たち自身の個人情報であろうと)の情報をどのように運用すれば、更に安心・信頼して任してもらえるのかという観点から検討できる筈である。(もちろん、個々の人々の個人データは、それら「管理目録」にリストとして出てくるわけではない。個人データの管理目録は特定の属性でまとめられただけの一覧であり、データを一つずつ列挙しているわけではなく、実際にもそんなことはできないからだ。なぜなら、そんな一覧を作れば、その一覧そのものが管理対象となってしまうし、そんな一覧を作成するために具体的な個人情報を転記することなど、データの利用目的には含まれていないのが普通だからだ。)

といったことで、こういう本を読む効用も実際にあると言えばあるわけである。これに加えて、たとえば家族とか夫婦として何か思うことを話し合うきっかけにしてもよい。夫婦で「戦略」などと言って話し合うのは大袈裟だが、家庭を一つの組織として考えたときの「ステークホルダ」を想定して、それら全ての関与を加味して色々なことを検討しておくことは有益だろう。別に、その成果を Harvard Business Review に投稿するわけでもないのだから、こういうことは誰に公開するわけでもなし、積極的にやって悪いわけもないと思う。

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