Scribble at 2021-12-20 14:55:46 Last modified: 2021-12-20 15:00:16
もちろん、これが40~60歳くらいに渡る「おじさん」の大半に当てはまらないのは、いくらなんでも多くの若者には分かるはずである。以前もアマゾンのカスタマー・レビューを紹介したように、文節ごとに読点を打つような文章は、僕らから見ても何らかの偏執症を疑っていいくらい「異常」なのだ。おまけに顔文字なんて大抵の大人は実際には使わないし、自分を「小生」とか「吾輩」とか、あるいは関西人に多い表現として自分を「自分」と呼ぶような習慣も、そうは見かけない。実際、関西人でも自分のことを「自分」と呼ぶのは(差別とは関係なく)特殊な環境で育った者だけである。
これらの実例なり証拠というのは、もちろん、いまみなさんがこうして読んでいる文章を書いている人物が、まぎれもない53歳の「おじさん」であるという事実だ。そして、僕がそういう「おじさん構文」を使う者に該当しない理由や原因は、何も特別な文章を書いている(べきだと思っている)からでもなければ、学歴や職業や生まれ育ちが特殊あるいは特別だからではないのだ。