Scribble at 2023-10-04 09:20:04 Last modified: unmodified

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I think you’ll find that all of them are crazy, compared with common sense, and some are more crazy than others. But in this world, crazy does not necessarily mean wrong, and being more crazy does not necessarily mean more wrong.

The Many-Worlds Theory, Explained

しばしば量子論、量子力学、あるいは量子物理学と呼ばれている分野の通俗本には、「クレイジーであることは間違いではなく、間違い以上の何かである」といった、本人は気が利いた反語のつもりで書いているのだろうが、杜撰な理解にもとづく偏見をイージーなフレーズに置き換えただけのクズみたいな解説が書かれている。多くの人は、もちろん量子論について詳しくは知らないからこそ通俗本を読む(僕に言わせれば、本当は詳しく勉強したくないのに通俗本ていどで知ったかぶりがしたいという自己欺瞞にすぎないと思うが)のだから、彼らにはそうした解説がクズであるかどうかを判断する知識はないし、その動機もなかろう。よって、こういうことは既存の解説に疑問をもつ物理学者か、あるいは何か特定の解説というよりも通俗的な解説全般、通俗的な解説そのものの効用に、本当に啓発や啓蒙という力があるのかどうかを疑っている、僕らのような科学哲学者が積極的に介入していく必要なり責任があると思っている。僕が、学術研究についての熱意もないくせに飛ばし読みしたような専門書をせっせと紹介している書評ブログなどを非難しているのは(その究極が、あの編集工学おじさんのような摘み食い思想家だが)、これが理由である。かような書評ブログは、学術研究に対する興味を起こさせるのではなく、統計学や量子論や相対論や圏論のような(自分にとっては)高度な話題を他人に開陳できる優越した地位に立てるという歪んだオタク的な憧れを生み出すだけであって、社会科学的なスケールで言えば有害としか言いようがない。

上の記事で言及されている「シュレーディンガーの猫」という話題も、物理学の通俗本どころか専門的な分野の教科書にすらシュレーディンガーの意図をぜんぜん理解していない解説のために振り回されているアイデアの典型と言える。僕が PHILSCI.INFO で何度か書いているように、通俗本に使われている未熟なイラスト、図表、漫画などを使った解説というものは、おおよそ話題としている概念や議論の間違った理解を刷り込んだり、議論するべきアウトラインを勝手に制限したり特定の脈絡に固定してしまう。これは哲学的に言って「哲学すること」の対極にある、まさに反動的と言えるような愚行と言える。これと同じく、たいていは間違った理解にもとづく、あるいは間違った理解を植え付けるだけの「わかりやすい」解説などという、今世紀に入ると出版・マスコミ業界で爆発的に流行している愚劣な価値観や判断基準が海外でも猛威を振るっている実例の一つが、この「シュレーディンガーの猫」であろう。

"Schrödinger’s cat is not a real experiment, but a thought experiment, which means it is only imagined and not actually performed. Erwin Schrödinger came up with it to show the absurdity of applying quantum mechanics to everyday objects, such as cats. He did not intend to suggest that cats can be both alive and dead at the same time."(シュレーディンガーの猫は現実の実験ではなく思考実験なのであり、それはつまり想像であって実際にできる実験ではないということだ。エルヴィン・シュレーディンガーは、量子力学を猫のように身近な対象に当てはめることの愚かさを示すためにこの思考実験を思いついたのであって、猫が生きていると同時に死んでいる状態がありえるなんてことを語るために思いついたわけではないのだ。) https://twitter.com/PhysInHistory/status/1708301522453581892

上記のツイートにはデイヴィッド・ドイッチュも賛同して RT しており、僕も同感だ。そして、ここで指摘されているような「生きていると同時に死んでいる」猫なんてものを嬉々として描く通俗物書き(しかしその多くは東大の博士号をもっていたりするから、この国の教育制度は深刻である)たちは、別の一章では、やれ「波動方程式が収縮する」(冷静に考えても見よ。「数式が縮む」とは何のことなのか)などという雑で愚かなフレーズを振り回しては、量子力学は奇怪で難解で興味深いなどと言いつつ、自分たち自身でものごとを逆に分かりにくいままにして、自分たちの書く通俗書が永遠に売れ続けるような欺瞞を維持しているわけである。科学哲学者たるもの、たとえアマチュアであろうと、そして元出版業界にもいた人間であればなおさら、こういう愚行や欺瞞を指摘して叩き潰す学術的な責務があると思う。

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