2018年09月04日に初出の投稿

Last modified: 2018-09-04

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後期高齢者医療制度にかかわる本を読んでいる。もちろん、庶民の意見を自称する瑣末な小言の類もオンラインで(だいたいが社会党や共産党の関連団体のサイトだが)眺めている。そして、大きく区切って「物書き」と呼ばれる人々が書いたエッセイとしては、この小林信彦さんの『〈後期高齢者〉の生活と意見』(文春文庫、2008)が知られているし、逆に殆どこれしか出ていないようなので、アマゾンで安く買って該当箇所を読んでみた。「該当箇所」と書いたのは、この本が後期高齢者医療制度について評しているのは、せいぜい冒頭の約16ページにあたる「〈後期高齢者〉の生活と意見」というエッセイと数ページの「あとがき」だけであって、残りのページは一部で保険制度などを取り上げてはいるものの、後期高齢者医療制度を直に扱っているわけでもなく、大半は〈後期高齢者〉としての読書遍歴や昔話が書かれているだけだからだ。それはそれで興味深いものかもしれないが、僕はいま物書きの昔話を読みたいわけではない。

結論から言えば、この本、なかんずく表題のエッセイを後期高齢者医療制度に関する「識者の意見」などとして読む必要も理由もない。せいぜい、新聞の投書欄に掲載されるていどの文章を20ページ弱に引き伸ばしたくらいの価値しかないと思う。しかも制度が始まって10年になる現在においては、制度が施行された際の大騒ぎはない。ただし、この制度について丁寧に周知されているとは全く思えないので、75歳というだけで自動的に違う医療制度へ引き渡されることが多くの人に知られておらず、著者のように唐突な感じを受けるのは今でも同じだろう。僕も、後期高齢者医療制度を数ヶ月前まで知らなかったし、とりわけ社会保障に関心があるか、専属の FP がいる金持ちでもなければ、知らない人が大半だろう。

それにしても、このエッセイは最初から最後まで官僚に対する敵愾心に満ち満ちている。確かに、選挙されたわけでもない人々が国の制度を作って運用しているのだから(いまどき政治家が、たとえハーヴァードを出ていようと、法律を起案できる知性なり知識があるとは誰も信じていない。だって、ハーヴァードや東大とは言っても「学部卒」なんて、実は暗記している知識が他人よりも多いだけの素人同然だからだ)分からなくも無いが、読んでいていささか辟易してくるのも事実だ。

やはりものごとは完全なる悪とか善というものはありえないし、全くの悪があるかのような擬制を設定して誰かをスケープゴートにしたところで、その擬制の不完全さによって人の社会は再び脅威と脆弱性にさらされる他は無い(僕は擬制としての権威は必要だと思うが、そのような擬制の限界なり脆弱性には格段の注意を払うべきだとも言っている)。政治家や官僚に記憶力だけしか能が無い受験秀才の世間知らずが多いのは事実だが、それでも社会に害悪をもたらすバカがどこか決まった社会的な地位に固有の特性として設定できる(つまり愚かな政策は政治家や官僚のせいだと考える)という発想は、端的に言えば部落差別やゼノフォビアと同じ精神構造であり、そのような断定を繰り返して反権力闘争など繰り広げても、歴史というスケールどころか個人の生涯というスケールですら世の中は殆ど良くならない(もちろんインパクトだけなら、覚悟があれば内閣総理大臣に切りかかるくらいのことはできるだろう)。

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