Scribble at 2022-06-18 20:10:54 Last modified: 2022-06-20 00:05:16

Greek has words for the area of the colour palette that English calls ‘blue’. But English ‘blue’ covers a huge region of the palette.

How to make sense of ancient Greek colours

歴史学が僕らに教えることは数多くあって、その一つは、実は歴史学者ではない僕ら自身が歴史について語ったり考えようとすること自体にかかわりがある。つまり、僕らは自分が過去について正確に知らないことが何であるかを知らないばかりか、知らないことについて現在の(少なくとも自分自身の)経験や知識から未知のことがらについて勝手に推論してしまう。要するに偏見や思い込みが少なからず入り込むにも関わらず、そうなっている自覚がないのだ。

そして大切なことは、いま自分たちが暮らしている現代の世界についても、いやそれどころか家族や同僚についてすら、そういう思い込みがあるのに気づかない。歴史学の成果を活用するということは、もちろん昔から何度も言われていることだが、まさしく過去を正確に理解しようとすることによって、現代についても何かを勘違いしていたり勝手に思い込んで、或る事実と別の事実とを都合よく結びつけて考えていないかどうかを反省するために役立つ。

僕が考古学者を志望していた小学生から中学生にかけて、とにかく小説家や芸能人が勝手に「古代のロマン」と称して出鱈目な作り話を社会的な地位を濫用して大手の出版社からばら撒いていたのを、文字通り唾棄していたのは、これが理由である。小説家が作り話を書いて出版するのはいい。それは出鱈目だと最初から分かっているからだ。でも、歴史学者や考古学者と一緒になって、ロマンだの学問の自由だのと言って、勝手に昔の人々の暮らしや生き方を語るのは、不見識で無礼というものだ。それこそ、勝手な想像を差し挟んでいる自覚のない文章を読まされる人々が、そこから更に勉強不足なまま適当な思弁を展開するのだから、目も当てられない。僕が通俗本を「ゼロ算術」どころか、たいていは有害だと思っているのは、そういう凡人の勉強不足を勝手に底上げするようなものだからだ。

凡人はバカのままで結構です、有名作家や東大卒の自称思想家たちが代わりに読書したり勉強したり留学してくれればいいなんて・・・そんなことで人の見識が社会統計的なスケールで言って 1mm でも改善されたり向上するなんて理屈は社会科学的にありえないし、あってはいけない。未熟で不勉強な者の集団が一部の物書きやセレブ思想家、立命館のお勉強大好き君とか、小平市の英雄哲学者とか、なんとか茶とか、哲学用語解説の権威とか、政府の委員に上り詰めた教育哲学者といった、お勉強はできても結局は哲学者として何の業績も上げていない愚劣な人間に依存したまま何もせずにいても世の中がよくなるなんて、それこそ不正義というものだ。

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