Scribble at 2023-06-06 09:35:29 Last modified: unmodified

口語辞典や会話表現のフレーズ集を何冊か持っている。以前も書いたように、これらに掲載されているフレーズを覚え込んだところで英会話できるようになるわけではない。したがって、僕はこういう教材とか辞書を「吾輩辞典」つまり自分なら使うであろうフレーズを学ぶための資料として使っている。したがって、従来の単語集と同じく、不要なフレーズもたくさん収録されているので、原則としてはノートに必要なフレーズだけを書き写して、全て「吾輩辞典」に取り込んだら処分している。

こうする理由は、会話表現のフレーズ集を覚え込んでも無駄であるという話を書いた時の理由と同じだ。たとえば、口語辞典に「人を呪わば穴二つ」なんていうフレーズが掲載されている。英語では "Curses come home to roost" などと表現しているようだが、こんなのアメリカ人は言わない。同じ趣旨のことは言うであろうし、言えば伝わると思うが、アメリカ人が自ら進んで "Curses come home to roost" なんて言うとは思えないのである。そして更に重要なことだが、あなた自身が日本語で「人を呪わば穴二つ」なんてフレーズを口にしないだろうということだ。自分で言うわけない表現を覚えたところで、そんなのは完全に無駄で無意味である。

したがって、自分ならこれまでこういうことを言ったし、チャンスがあればこういうことを言うだろうと思う表現だけを抜き出して覚えたらいいのだ。それ以外は、必要に応じて後から覚えても問題はない。

こう書くとすぐに(なかば脊髄反射的に)、それでは表現の「多様性」が失われるとか、思考が画一的になるとか、あるいは語彙が貧弱になるといった、知った風なことを言う人が必ず出てくる。自ら覚えたり学んだり口にする情報の分野とか勉強する範囲とかコミットする話題を制限すると、自ら何かから目を逸らしていることになるというのだ。

しかし、僕には幾つかの反論がある。まず、大半の英語学習者は知識の偏りなど気にする暇があったら、まず自分が覚えたい、覚える必要があると思う言葉やフレーズをどんどん学ぶべきである。大半の人々は、英語の学習に限った話でもないが、知識の偏りなんてことを心配するようなレベルには達していないのだ。自分の覚えたいことばかり学んでいたら「偏る」なんてことを気にするのは、まず自分が日本でも言うはずだと思える単語や表現(単語だけでも数万はある筈だ)を全て覚えてからにしろと言いたい。そして、そこまで身に着けば逆に偏りなんて気にしなくてもいい筈だ。仮に偏りがあるとしても、それはあなた自身が日本語の語彙としてもつ偏りと殆ど同じだからである。英語の語彙だけ何かの意味で「公平」であっても、それで人が公平な人物になったりはしないのだ。

そして次に、色々な分野とか話題を満遍なく覚えると「公平」で「偏りのない」、それこそ「教養」のような知識や語彙が身に着くなどというのは、たいてい教養がなんであるかを考えたこともないような人々の錯覚である。これは英語の学習だけに限らず、社会科学の勉強などでも言える。つまり、一方的な情報だけを受け取ったり、或る著者の本ばかり読んでいると、そういう人々が軽視するあれやこれやのマイノリティや身体障碍者や女性や LGBTQ や精神疾患の患者や在日朝鮮人や右翼やデブおたくを過小評価したり無視することになるからけしからんという、いまで言えば WOKE の発想と同じである。しかし、視野狭窄のまま視点を変えても、視野を広げた事にはならないのだ。英語の学習に話を戻すと、自分が使うであろうフレーズだけを覚えてはいけないなどと称して、やたらとビジネス英語や黒人の隠語や若者言葉を調べて覚えているような人もいるが、そういうことはその人の語彙を増やしたり見識を広げる役に立つわけではなく、個々の境遇や世代や地域によって偏ったものの見方や、どういういきさつで使われるようになったかを理解していない、「データ」を覚えているにすぎないのである。

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