Scribble at 2020-08-19 20:29:49 Last modified: unmodified
ギガレンツァーの通俗本とタレブの通俗本とを比較するなら、確率の哲学をやる学生にはタレブの本を勧める。少なくとも、確率の哲学についてそれなりの数の概説書や入門書を手に取ってきた経験から言えば、まず哲学のプロパーが書いた確率の哲学の本は、はっきり言って「思想」としての水準が低すぎる。どうして我々が確率をテーマにしなくてはいけないのかという、根本的なところで全く底の浅い議論しかできていないのである。それこそタレブが『まぐれ』で書いているように、科学哲学の教科書で「単元」として登場するからだといわんばかりの、こいつらアホなのかなとしか言いようがない記述があまりにも多い。そんなものは、どれほど数学的に洗練された技巧があちらこちらに散りばめられていようと、哲学的には何の役にも立たない。