Scribble at 2023-01-01 02:06:30 Last modified: 2023-01-02 11:41:53

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さきほど実家から帰宅したところだ。実家で押し入れの点検をしていたら、上記のような本を見つけた。本と言うよりも資料の類であり、年号の索引などが掲載されている。いまも京都で事業を続けている綜芸社という出版社が昭和54年・・・これ西暦で何年だろう・・・と、スマートフォンの和暦と西暦を変換するアプリケーションで1979年だと分かったのだが、その年に第13刷が発行されたというのだから、それなりに売れたのだろう。僕も歴史や考古学に興味が出てきたころに買ったのだと思う。実際、幾つかのページに書き込みがある。

でも、せっかく実家からアプリケーションの代わりに使えるかもしれないと思って引き取ってきたのだが、いまは使おうとは思わない。その決定的な理由は、いま前の段落でわざと書いたように、和暦で「●●何年」が西暦で何年なのか、まるで分からないからだ。いや、計算すれば分かるのだが、そんな計算をしたくないからこそ、みんな和暦が面倒だと感じるのだ。ナショナリストであろうとあるまいと、少なくとも日本の歴史時代が始まった古墳時代後期頃には、既に統一された数え方の暦が成立していたというのに、なんで和暦などという煩わしいものを使うのか。平民どころか貴族も含めて、みんな元号が二つや三つほど替わる頃には死んでしまうからか。つまり元号を幾つも扱って比較したり、それこそ100年前の元号で呼ばれた年のことなど、たいていの人間にはどうだってよかったからだろう。でも、いまは違う。少なくとも哲学者である僕から見て100年なんてスケールは、知識や学問にとってはクソみたいな短期間と言っていい。

本書には、読み方で検索する元号の一覧とか、干支で分類した元号の一覧とか、天皇の一覧とかが掲載されているけれど、それぞれの元号が西暦で言って何年に終わり、何年に始まったのかをクリアに見通す一覧がない。明治が1868年に元年だと書かれているから明治40年は1868 + 39 = 1907(年)だと推論できるとは言っても、元年からの数え方は1を引いた数を足さなくてはいけないとか、そういったヒントも加えながら、いちいち計算しないといけないのが、もう面倒臭い。直感的に和暦と西暦を対照する、2,000項目くらいの表が掲載されていないという一点だけでも、「使えない」という判断をせざるを得ない。僕は、要するにアプリケーションの代わりに印刷物として即座に参照できる資料が欲しい。計算するなどと、なんで人間の知性で資料やコンピュータの仕事を代わりにやってやる必要などあるものか。

ということで、外見は殆ど新刊に近い状態なのだが、書き込みがあるのでロクな値段にはならないだろうから、これは廃棄処分かな。それから、Android のアプリケーションでも、いいと思ったアプリケーションは Android 12 で使えなくなってしまったし、代わりに使っているアプリケーションは広告もなくてシンプルな使い勝手は良好なのだけれど、和暦の「平成30年」を西暦に変換しようとするときに、その「30」を入力する方法が select のインターフェイスしかないというのが困る。せめてテンキーの UI を出せるようにするとか、何か select とは違う扱いやすい方法はないものか。こう考えると、元号と西暦の対照関係なんて変わるわけでもなし、いっそ「河本孝之専用の Pocket REF」でも自作しようかと思っている。

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