Scribble at 2022-05-05 17:17:21 Last modified: 2022-05-07 23:01:47

中学生が相手なら、教科指導力があって生徒から尊敬される先生、「〜先生の授業は分かりやすいし面白い。」と言われる先生の方がTOEIC900を超える指導力の無い先生よりも、よっぽどためになります。

英語教師に必要な英語レベルはどのくらいか

上の引用は「教えるのが下手な人は教えるのが下手である」という同語反復にすぎず、詭弁だと思うね。僕は大前研一氏の意見(「日本の中学・高校の英語教員は、海外では“教わるレベル”であり、そういう人が教えているのだから、日本人の英語力が上がらないのもむべなるかな、である。」)に賛成だ。TOEIC で500点とか、高校時代の僕よりもスコアが悪いんじゃないか。日本人の大多数が英語を自分自身の生活手段として身に着けられない理由や原因は多々あると思うし、当サイトでも色々と検討しているが、やはり教員の質が(英語に限らずだが)低いというのも原因だ。概していうと、海外の教員は小学校の教諭であろうと最低でも修士号を持っていたりするものだ。高等教育を受けた人材があぶれていて、ハードルとしての学位を更に求めているという事情もあるにはあるが、教えようとする学科について一定の見識があると認められるには、やはり学部卒レベルでは未熟にもほどがある。そんなレベルなら、どの分野であろうと「進学校」と名の付く高校を出ていたり大学院の博士課程に進んだ経歴くらいある人間なら、数か月(有能なら数週間)ていどの勉強をすれば、(海外だと難しいが)日本の学部レベルの素養なんて簡単に身に着けられる。それが学部卒と院卒の差なのだ。

特に英語に話を絞ると、著者は翻訳者であって教育者ではない。6冊の自費出版をしているというが、それらは全て日本語で書かれた単なる個人の経験談にすぎず、はっきり言って当人の英語力を証明するものは何もないし、英語教育についての見識を証拠立てるものもないわけである(もちろん僕もないと言えばないが、単語力のテストでは何のアプリケーションを使ってもだいたい TOEIC で 800 点レベルは出るし、学部レベルの英語力で国公立大学の博士課程に進学できるとは思っていない)。上記の文章はまさしく「学習者コラム」として公開されており、別に著者が英語教育に携わる立場から書いているわけではない。「地方国公立の教育学部はセンター英語160点とかで入れて、教育哲学とか勉強してるんじゃないですかね(勝手な想像です)」とか、出鱈目なこと書いてるし。よって、「指導力」などという妖精の魔力みたいなものをフックやキーワードにして妄想を作り上げたところで説得力はないのだ。

僕は大阪でも屈指の進学校の一つ、しかも色々なところから教員が転任してきて教育方法を試験的にあれこれと実施し、他校の教員を招いて演習や研究発表会のようなことまでやってる学校に小学校から高校まで通っていた。それこそ同じ教科でも毎年のように担当教員が入れ替わったり、あるいは大阪教育大学の学生が全ての教科について数週間ていどの実習にもやってくるし、一人の教員でも教え方が色々と登場しては消えていくという、教育学のモルモットとして学んでいた12年間だったと言ってもいいが、そういう学校生活にも混乱させられずに過ごせるような生徒を集めていた学校だ(とは言え、実情としては学力として耐えられたというよりも、大半の生徒は予備校を重視していて学校の勉強を軽視していたからなのだが。それゆえ、国立の学校ではあるがそれなりの財力が必要で、実際に同級生の大半は会社経営者や医者や官僚の子供が多かった)。そこでは、退官してから大学教員になった教員もたくさんいるし、僕が中学時代に英語を教わった高橋一幸先生のように後で NHK ラジオの講師を担当した人物もいた(高橋先生も、現在は大学教員である)。そういう点で、僕は上記の記事が頼みにしている「指導力」なるものを高度に実践している学校へ通っていた。

そして、はっきりしているのは、僕が教わった英語教師は全員が例外なく、ゲストや補助としてやってきていたネイティブと当たり前のように会話や議論を交わしていた。指導力さえあれば英語力はいらないという、無能や凡人に下駄を履かせたいという日本独特の「平等」意識(結果平等こそ正義!)の頑強さには呆れるほかにないが、現実には英語をまともなレベルで使える力こそが英語を学ぶ側にしてみれば、その人物から学ぼうと思える説得力のもとになるのだ。誰が、ネイティブと会話すらまともにできない人間が、英語を知っていて教えられると期待できるものか。いい加減に、日本の教員の勉強不足を弁解するような議論は恥ずかしい。そして、彼らがそういう状況に置かれている大きな原因の一つが、別に学校でやらなくてもいいようなクラブ活動の顧問を教師にさせたり、生活指導のような親か地域住民の大人がやってもいいような雑事を肩代わりさせていることにある。

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