Scribble at 2025-12-21 09:12:01 Last modified: unmodified
分析対象は単一の学区に限られており、さらに学区全体で一斉にスマホ禁止が導入されたため、実際の効果よりも控えめに見積もられている可能性があるとフィグリオ氏らは指摘しています。また、長期的に見た場合の影響や、生徒の精神的健康や社会性にどのような変化が生じるのかについては、まだ明らかになっていません。
アメリカの公立学校は居住地域ごとに通える学校が決まっている場合と、学区内なら好きな学校が選べる場合があり、更に親が働いている地域の学区にある学校を選べる越境入学が可能な場合もあるらしい。もちろん、私立ならどこへ行こうと最初から自由だし、そもそもホーム・スクーリングで学校教育を否定している親もいる。そういう状況だと、このような教育制度や学習方法の統計的な調査というものは色々な条件を考えて影響や効果を取り除いたり、場合によっては加えないといけないという難しさがある。
たとえば、学区の単位でスマートフォンや通信可能な電子機器(スマート・ウォッチも含まれるだろう)の持ち込みが禁止されるというなら、スマート・ウォッチで子供のバイタルなり心拍数などを記録している親にしてみれば、子供の健康な生活を維持するためのデバイスを禁止されるのだから、これを「教育」や「社会実験」の名を借りた虐待だと考えてもおかしくない。つまりは左翼やリベラルが大好きな「福祉」という名の全体主義というわけである。貧しい家庭は、そういうことをされるからといって簡単に引っ越すお金はないし、そんな時間的な余裕もないわけで、社会実験や教育制度の研究という学者のお遊びに子供の生活や勉学を付き合わせるわけにはいかないと考える人もいるだろう。
それは、実際のところは「自立」とか「独立」とか「自由」というアメリカの精神から来ているというよりも、寧ろ貧しい人にとって最低限の生活環境や生活リズムを乱されたり破壊されることへの不安や苛立ちによる反発だと考えたほうがいいと思うんだよね。こういう話題を安易にイデオロギーの対立だとマスコミ的に短絡するのもどうかと思う。そもそも、凡庸な人々の多くに「イデオロギー」なんていう体系的で一貫した強固な思想なんてないのであって、「ない」ことを蔑む意図は無いけれど、そういうものがあるというメンタル・モデルは、正直なところ社会科学や社会学の基本を学んだ僕から見ると、とりわけ左翼やリベラルの人々が作り出したり勝手に仮定している社会科学のアクターにおけるメンタル・モデルのお化けや妄想の類だと思える。