Scribble at 2020-09-12 10:14:12 Last modified: 2020-09-13 19:01:41

このところ、誰かが(いまはピーター・ティールがターゲットになりつつあるらしい)トランプの支持者だとか過去に不適切な発言をしたという経歴を蒸し返し、Black Lives Matter の熱狂に乗じて一緒に叩くという、いわゆる cancellation culture が Twitter などで流行しているようだ。これは、僕が思うには Pokemon Go などと同じく流行にすぎず、なんら法的・政治的なスタンスでもイデオロギーでもないと思う。バナナ・ジュースが流行ってるからといって、近くの店に買いに行く女子高生と同じで、別にそれが世の中にとってどういう意味をもつのかなんて考えてはいない。それが楽しいからやるのだ。

もちろん、人種差別に反対するムーヴメントが流行として支持されているだけでは、なんら良い結果は生まれないだろう。もちろん、これは BLM 運動を冷かしているわけでもなく、反対しているわけでもない。僕も、BLM のステッカーを挟んだキーホルダーを鞄に付けて通勤している。一時的に逆差別的な政策とか法律で《対処》してもらえるかもしれないが、そんなものは数年も経たずに形骸化したり軽視されるようになる。事実、合衆国憲法の修正条項ですら各州で最大限に尊重されているとは言い難く、これは東アジアの辺境国家においても日本国憲法の多くの条項が蔑ろにされている事実によっても類推できよう。よって、些末な事実をほじくりかえして喚くだけでは、そのときの熱狂的な《正義感》とやらの driver として #BLM なり #resignTrump なりといったスローガンを投げつけてカタルシスに浸れるのだろうが、そんなことを繰り返しているだけで世の中がどうにかなると思っているなら、それは「セカイ」という自分が理解・許容可能な範囲でゲームをしているだけだ。分析哲学には "brain in a vat" という概念の玩具で昔から遊び続けている連中がいるけれど、そこで描かれる状況よりも酷い(だが、そういう状況についてお喋りすることが「哲学」だと思い込んでいる、自己欺瞞も甚だしい連中の方が悲惨と言えば悲惨だが)。

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