Scribble at 2021-12-14 09:13:01 Last modified: 2021-12-15 11:15:39

商業施設屋上からコンクリートブロックなどを投げ落とし、通行人を殺害しようとしたとして、奈良県警橿原署は13日、大阪府八尾市の無職山本庸博容疑者(35)を殺人未遂の疑いで逮捕した。「コロナ禍でいらいらしていてやった。人に当たれば死ぬと分かっていた」と容疑を認めているという。

百貨店屋上からコンクリート投げ落とし…「コロナでいらいらしてやった」

何週か前にも、女子高生が量販店かスーパーの屋上から買い物カートを遊び半分で落下させたという事件があった。もちろん、こういう人は時代や季節や地域や国など何の関係もなく、どこにでもいる。街中を歩いているときでも、いつなんどき後ろから切りつけてくる者がいるか、実は分かったものではない。僕はリスク対策として、街中を歩いているときに上を見上げることがよくある。それは、三流作家が記号的に描くような、コンクリート・ジャングルと行き交う人々の喧騒から意識を外してうんぬんといった理由ではなく、ビルの窓やマンションのベランダから物を投げたり地上の人へ唾を吐いては喜ぶバカが、どこにでもいることを昔から知っているからだ。凡人が偏在するのはもちろん、バカもそれなりの密度で偏在する(ついでに言えば有能な人間も更に低い密度で偏在はしている。ここアジアの辺境地帯にも一定の人数がいるのは知っているのだ。もちろん〈ここにその一人がいる〉などと言っているわけではない)。とは言え、そういうことに戦々恐々として生きているわけでもないのは事実だ。唾を頭から吐きかけられたからといって、それだけなら死ぬわけではないからだ。しかし、中には階下へ向かって唾を吐いたり鼻くそを指で弾き飛ばすだけではなく、買い物カートやコンクリートを投げる未熟者やキチガイもいるのは上記のごとく事実だし、果ては自分自身を地上へ落下させる者もいて、あろうことか地上で衝突した気の毒な人が死んで、自殺しようとした者の方が生き残るという悲惨なケースすらある。

僕は何も、外出したら周りの個体には誰であれ注意せよなどと偏執的なことを言っているわけではない。こういうケースは珍しいからこそ報道されるのだ。毎日のように数多くの場所で人が身投げしたり建物から物を放り投げるような国があれば、おそらくそこは風土や住環境としての異常があるか、あるいは民族としてのキチガイ集団が住んでいる可能性があり、そういうところで生まれ育ったなら、僕ら自身も屋上から地上へ何かを落としては喜ぶキチガイの一人である可能性が高いだろうから、こういうリスクを想定して街の設備が作られたり、生活するにあたって必須の知恵が教えられているかもしれないので、逆にリスクを気にしないかもしれない。いちいち報道し、そして気にしているということは、こういうことが頻繁には起こらないということでもあろう。しかしそれゆえに、その偶然で悲劇的なケースにおいて自分自身や家族を、キチガイどもの気まぐれや「遊び半分(ということは、そいつらの心の半分はまぎれもなく人殺しということだ)」で失わないように、それが起きる確率よりも高い頻度で(しかしもちろん、偏執的に高すぎない頻度で)周囲を警戒する必要がある。

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