Scribble at 2026-03-30 08:04:35 Last modified: 2026-03-30 10:23:39

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https://note.com/gadget_solutions/n/nd7f5972d6f55

URL は掲載しておくけれど、こんなゴミにリンクなんてしない。

僕は昔から note や Qiita などのゴミ溜めについていろいろと酷評してきたけれど、どういうわけか事業評価は一定の額に達してきているらしく、弊社でもコンテンツ・ビジネスの一つとして参考にすることもあるようだ。ただ、こういう文章の集まりというのは、それこそ書いている人間の学識や見識だけでなく文章構成や表現などの力量も問われるし、ネットの黎明期によく言われた「素人とプロが肩を並べる」という御伽噺や錯覚を取り除けば、そこにあるのは冷徹な客観評価でしかないわけだ。知識も経験も文章力もない大半の素人がド田舎のロータリーで地べたに座って売ってる詩集みたいなものを、世界中の人が読んだり買ってくれるなどという妄想など通用しないわけで、これから何十年が経過しても「なろう」系のノベール文学賞作家どころか直木賞作家すら出てこないであろう。

そしていまや、上のような小学生にでもばれる生成 AI のコピペが大量に note や Qiita あるいは各種の CGM サービスでばらまかれており、先日も Wikipedia や Hacker News などで生成 AI を利用したコンテンツの投稿を禁止するルールが追加されたりしている。もちろん、上のような拙劣としか言いようがない「AI 文体」はともかく、巧妙に生成させた文章であっても、投稿する側の倫理観や自制心や誠実さという信念にもとづいての行動が求められている。そして、それこそ生成 AI ではない他ならぬ人間にしかできないことなのだ。

ただし、上のような文章を生成 AI ではなく馬鹿が書いているだけという可能性は残る。そこで、ひとまず僕が上の記事を「AI 文体」だと判断した理由について列挙しておこう。

・生成 AI は文章のタイトルに「~の罠」といった三流新聞の見出しみたいな表現を多用する。

・生成 AI は文章の見出しに「最適解」という言葉を乱用する傾向がある。(ただし、博士号すらもっていない自称理系の小僧など無知蒙昧な人間もこういう言葉を好んで使うので注意したい。同様に、自称文系の連中は「言説」という言葉を多用する傾向がある。)

・生成 AI は、冒頭に読み手の思い込みや経験に注意を促すような「もし、あなたが~なら、今すぐ止めてください」という表現を使うことが多い。

・段落の初めに「これは偶然ではありません。構造的な『罠』が仕組まれているからです。」などという表現があるが、文章構成の訓練を受けていない素人が文章の後の展開を先取りするような表現を使うわけがない。素人はたいていオン書きで上から下へ単調に文章を書いており、そもそも「文章の構成」という観念すらもっていないため、後にこういう議論が続いたり展開するから、ここにはこう書いておこうという前後関係を考慮して表現するといった文章全体のバランスをとったりしない。

・「残酷な真実」なんていう軽薄な語句も生成 AI が自信満々で多用する表現だ。

・偏差値70以下の大学を出たくらいの人間なら、「リスクを孕んでいます」なんて表現は使えない。「孕む」なんていう語彙はないはずであり、小説などに使われた語句として読むことはできても、自分で文章に使える者など殆どいない。

ということで、もちろんこんなゴミを人間様がいちいち終わりまで丁寧に読んでやる必要などない。おそらくはタイトルだけでも切り捨てる兆表はつかめるだろうし、この手のガラクタはさっさとスルーするのが妥当だ。

もちろん、間違いはある。だが、仮に間違いや偏見だからといって、そのリスクはどれほどか。実際にはぜんぜんないのである。僕らが「ゴミ」だと断定して、この文章を読まなかったからといって、何か僕らの生活や判断や人生にとって致命的なリスクとなるだろうか。そんなことはない。そもそも他人が書いた文章などで人生が左右されること自体が、哲学者いわんや人として「負け」である。家一軒が建つていどの金額を費やした膨大な蔵書を抱えていながら、僕が書物というものを信用はしていても信頼していないという根本的な理由はこれだ。書籍つまりは他人の書いたり論じていることは、用いるに足ると信じることはできても、頼るに足ると信じることはできないし、すべきでもないというのが哲学者なり思想家としての僕の見識だ。

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