Scribble at 2026-03-28 13:49:43 Last modified: 2026-03-28 21:43:03

僕がコリン・マッギンの "epistemic closure" を支持しているという話題を当サイトで紹介するのは初めてからもしれないが、簡単に言えば人の知識には「原理的な」限界があるという主張なり観点のことだ。したがって、マッギンは『意識の〈神秘〉は解明できるか』という著作物で意識についての epistemic closure を議論しているのだが、そういう特定の話題とか対象について議論するものだという制約はない。

実際、僕は epistemic closure を支持してはいても、マッギンのように意識が解明できない謎であるとは考えていない。既に PHILSCI.INFO で述べているように、僕はとりわけデイヴィッド・チャーマーズが使い始めた「意識に関するハード・プロブレム」というものは疑似問題、あるいはカテゴリー・ミステイクの類であって、着色料や色素の化学的な性質を語るだけで美学を論じられないのは何故かと悩むような愚問の類だと言ってきた。

僕らが自分自身の意識によって何事かを見聞きしたり感じたりするという主観的な体験は、それこそ意識という脳の神経活動によって起きている「結果」を脳の内部で自分自身で理解したり解釈するという別のプロセスなのであって、しかもそれらをクオリアだの意識だのと語り論じるという生理的な反応だとか肉体の動作は、さらにまた別の現象である。そして、ここで重要なことは、我々はそうした現象の主体であるが、それらの現象を自分自身で直に観察したり感じることはできない。脳神経細胞の電気化学的な伝達のプロセスを「見たり」、そこで起きる印象とか感情を自分がどう受け取るかを脳で「感じたり」、あるいはその結果として嗚呼と声を漏らすまでの過程を「見聞きする」ことはできないのである。そういう(僕にとっては)単純なことを大問題なり哲学の難問であるかのように、それこそ既存の通俗本や教科書に並べられたトピックのカタログを無批判に暗記するだけで東大の学位をとったような受験秀才連中が騒いでいるだけのことなのだ。

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