Scribble at 2025-04-27 08:46:23 Last modified: 2025-04-27 08:51:19

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あまり話題を関係なさそうな写真で恐縮だが、昨日は四天王寺で再来週の月曜まで開催されている古本市に行ってきた。さすがに初日とあって、到着したのは正午あたりだったという理由もあり、かなり多くの人がいた。そして3割くらいが観光客だったろうか、敢えて写真集や映画のパンフレットなどを漁っている人もいるにはいたが、大半は理解不能な言葉で書かれた大量の小汚い本や雑誌を眺める人々である。買い物に来ている人にとっては酷く邪魔になるが、それも最近の日本で頻繁に見かけるようになった光景の一つだ。

ただ、ここに出品している店の多くも加盟しているらしい『日本の古本屋』というサイトを利用している一人としては、こういう古本市にまで足を運ぶ理由や動機や期待の多くが失われていると言ってもいい。目当ての本が決まっているなら、サイトで検索して注文する方が確実だからだ。それでも、こういう古本市には幾つかの利点があるので、やはりこうしていまでも足を運ぶ気になる。

利点の一つは、もちろん自分が単に知らないだけの面白い本や雑誌が偶然に見つかる可能性があるからだ。そして二つめは、状態がやや悪いのは仕方ないとしても、安い場合があるからだ(逆に意外と高い場合もある)。そういうこともあって、特にどういう本を探そうとか決めずに行くほうが単純に面白いわけである。

ただ、一つだけ困るのは出店や出品の仕方が下手な店があって、いったい幾らなのかわからないことがある。背表紙に値札も付いていないし、周囲に「一律何円」とポップが貼ってあるわけでもない。そして、こういう品物を買うときに、いちいち店主に値段を聞くというのは、実は僕らのように色々なジャンルの古本を大量に買ってきた人間でも躊躇する。なぜなら、値段を聞いて買わないと、「買えないのか」と相手に侮られるのが癪に障るからだ。でも、その値段で買うほどでもないという本はたくさんある。たとえば昨日の場合は、雑然と積み上げられた本の山の中に、小学館から発売された『世界陶磁全集』というのがあって、須恵器について書かれた第2巻を手に取ったのだが、値段がわからない。周囲を見渡すと、少し離れたところならレコードか映画のパンフレットが並んでいる場所の上に「全品半額」というポップが吊るされていたのだけれど、こちらの山にも当てはまるなら、これは3,000円くらいになる。正直、こんな雑然と積み上げられただけの投げ売り状態になっている本なら、そもそも他人に販売する製造物としての商品として半値も出す気になれない。いくら内容に価値があると言っても、埋蔵文化財じゃあるまいし、他にいくらでも状態のよい古本が安く買える可能性があるわけで、これだけ雑に扱われている品物を数千円で買おうとは思わなかった。

そういうわけで、同じく雑然と並べられた投げ売りの本でも、もっと安いものを手に入れた。中央公論社の『日本陶磁全集4 須恵器』が400円であった。これは田辺昭三氏の手になる著作物であるから、考古学のプロパーはご存知のとおり、田辺氏とは因縁がある森浩一門下の僕としては複雑な印象を受けるのだが、学術研究の成果としては予断なく接するべきでもあろう。

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