Scribble at 2023-12-29 12:33:53 Last modified: 2023-12-29 19:20:30

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そろそろ来年の手帳を準備しないといけない。だいたい毎年やってることと言えば、「ほぼ日手帳」のカバーに挟む表紙を印刷したり、あるいはカバーに挟むカードを入れ替えたりすることと、前年の住所録は別の小さなメモ帳になっているため、これらを入れ替えたりすること、あるいは新しい手帳の奥付に氏名や住所を記入することだ。

とは言っても、コロナ禍に入る前から「ほぼ日手帳」を会社に持参する習慣はなくなっていたので、奥付に氏名を書く習慣も数年すればなくなるのかもしれない。自宅で使うだけなら紛失するなんてことはないからだ。まぁ、北朝鮮のミサイルが大阪を直撃して(「同胞」が多いから大阪には撃ってこないと思ってる社会学者なんかは日本にたくさんいると思うが、それは甘い)、瓦礫の中から発見された手帳の持ち主を知る手がかりにはなるのかもしれんがね。でも、そういうことになれば俺は死んでるだろうから、手帳の持ち主が分かろうと分かるまいと死んだ人間にとってはどうだっていい。

それはそうと、もう15年以上も「ほぼ日手帳」を使ってきているが、いまだに使い方のスタイルが決まらないのもどうかと思う。基本は上段の左欄(21時くらいまで)に仕事やプライベートでの出来事を日誌風に記録して、右欄へは完了したタスクだとか、思いついたことをメモとして残している。そして、21時以降に該当する下の欄へは食事の記録をつけている。一例として、今年の3月のページを上に紹介している。

糸井重里氏には色々と言いたいことはあるし、ここでも何度か書いてきたけれど、「ほぼ日手帳」は気に入っている。これまで何度か違うものを使ってみようと試したことはあるが、やはり「ほぼ日手帳」を上回る使い勝手、材質、そして設計思想の手帳はない。僕は本来、紙面のレイアウトを強制されるのを好まないのだけれど、かといってプレーンの、要するに罫線すらないノートがいいかというと、用途によってはプレーンでもいいが、日記や日誌として使うなら、そこまで自由である必要はない(でも、高校時代からプレーンのノートもアイデア帳として幾つか愛用している。Leuchtturm 1917 や Moleskin のプレーンな手帳は、やはりいい)。その点、「ほぼ日手帳」は時刻が記載してあったり方眼ではあるが、それでも好きに使いたければ使っていいという「緩さ」というか余裕がある。

かといって、何か毅然としたところがないかというと、そうでもない。たとえば、他社の手帳だと必ずあるものが「ほぼ日手帳」にはない。それは、前年や翌年をまたぐような重複したページを決して入れていないことだ。僕が「ほぼ日手帳」を高く評価している一つの理由は、こういう設計思想にある。前年のことなど翌年の手帳に書くものではないし、来年のことを本年の手帳に書くべきでもないという考えだと思うし、僕も全く疑問の余地なく同感だ。そんなページがあったら、年末年始のことを知るのに2年分の手帳を探さないといけなくなるし、どちらに書いてあったのかを両方の手帳で確認しないといけない。何年も前のことで忘れていたら、それこそ両方の手帳に何か書いているかもしれないなんてことになる。これでは情報の管理として一貫性もなければ安全でもない。

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